ブック・レビュー フクシマの“今”を知る必読の書!
込堂一博
日本福音キリスト教会連合屯田キリスト教会スーパーバイザー牧師
あの東日本大震災が起きて三年、特に原発事故に見舞われた被災地の福島県の人々は、今なお放射線問題と苦闘している。明治時代、私の父方の曾祖父は福島県浪江町、母方の曾祖母は会津若松から北海道に移住してきた。そういう個人的なかかわりもあり、あの原発事故以来、先祖の故郷、福島の人々の苦難と痛みが私の心の奥にずっとあった。
とにかく福島の現実を現地に行って知ることが最も必要だと考え、昨年十一月郡山市で開催された日本福音同盟の「宣教フォーラム・福島」に参加した。本書は、そこでのメッセージ、証し、講演、パネルディスカッションの記録集である。今回の原発事故に直面して、教会が今までのような壁を作っていたのでは、とても太刀打ちできないという実感から、教団教派の枠を超えた教会のネットワークができ、互いに祈り、親しい交わりが与えられたのは素晴らしい恵みだったという報告(七七、七八頁)には、大きな励ましを受けた。
一方で、現在の福島の人々は、ここに住んでいて本当に大丈夫なのかという不安、情報が二つあり、そのどちらかを信じるかによっての分断、震災から時間が経つことによるまひ感覚の三つの点が指摘された(六八―七一頁)。
さらに現在、福島の人々はレントゲン室の「放射線管理区域」とされるような所に住み暮らしている(一二七頁)との報告は衝撃的だ。福島の教会は、そのような内部被曝の危険性を負いつつも、被災者の方々に寄り添い、祈り、支援を続けている。
折りしも、このフォーラムが開かれていた二〇一三年十一月十八日、使用済み燃料棒の取り出し作業が開始された。それはとても大きな危険を伴うもので、今も福島の現状は日本列島に住む私たちにとって決して他人事ではない。今私たちにできることは、苦難の中にある福島の人々に寄り添い、共に生きることだ。本書から福島の教会のたましいの叫びが聞こえてくる。まずは、その叫びを聴くことから次の一歩が踏み出されるに違いないと確信する。