ブック・レビュー 一九一〇年日韓条約から一〇〇年、現代の日本教会はどう歩むのか
藤澤 一清
日本バプテスト連盟花小金井キリスト教会会員・関東外キ連
教会の内外を問わず日本保守層の多くは、日本による韓国強制併合つまり植民地化は、不幸ではあったが韓国の近代化に寄与した、と言う。そういう人々は、植民地時代は一九一〇年日韓条約から一九四五年日本敗戦までの三十五年であり、この問題は一九六五年日韓協定によって解決済みとする。本書は、日本の過酷な植民地政策を検証し、また日本の教会がその政策に追随していった歩みを描き出し、その構造と体質において今も続く教会に厳しく問いかける。ゆえに一〇〇年なのである。
本書は、足利エクステンション(二〇一〇年七月)と信州夏期宣教講座(同年八月)での牧師や学者による講演録で、次のような内容である。
「近代日本が韓国でしたこと――武力干渉から『併合』まで」〈岩崎孝志〉、「韓国併合一〇〇年と韓国教会」〈野寺博文〉、「韓国強制併合と安重根のキリスト教理解」〈笹川紀勝〉、「戦後日本の朝鮮・韓国観――教会の対韓責任」〈岩崎孝志〉、「朱基徹牧師との出会い――日韓交流で学んだこと」〈結城晋次〉
昨今、スポーツ・文化芸術の交流や観光などで近くなった日韓ではあるが、しかし両者の歴史認識における溝は深い。教会でも「悔い改め」「和解」の言葉が安易に飛び交う。しかし、天皇制にしかと対峙しなかった日本の教会であったからこそ、日本官憲による朝鮮・韓国教会弾圧にやすやすと協働していったこと、その教会の構造と体質は今も続く自らのことと受けとめるとき、説教や祈りは変えられ深められるはずである。
韓国併合がなお続いている象徴的存在は「在日」朝鮮・韓国人であり、その「在日」教会である。「在日」のうめきと霊のうめき(ローマ八・二六)との共響を聴き、共生への闘いに連帯するとき、「悔い改め」「和解」は神の前に真実となるであろう。
なお安重根や朱基徹の殉義殉教の評価について思いは残るが、他日の課題に譲ることとし、講演者と出版社のタイムリーな企画と労を多としたい。