ブック・レビュー 人間の顔がみえる読み方
峠口 新
梅光学院大学 名誉教授
『イザヤ書を味わう』
鍋谷堯爾 著
四六判 2,200 円+税
いのちのことば社
鍋谷先生は聖書の読みをあえて「読む」とはいわず、「味わう」と表現しておられます。
本書は、堅実な学問的成果の一つです。しかしそれだけではありません。イザヤ書を第一、第二、第三とばらばらに分解してしまう現代の学問的定説では、イザヤ書本来の生命が失われてしまう、イザヤ書は初めから終わりまで預言者イザヤ一人が書いたものだと、その統一性が強く打ち出されています。それは具体的な人間洞察、人は年齢や時代、社会や環境とともに変わり成長するものだという事実に基づいた「人間の顔が見える読み方」の提唱です。
イザヤ書は、イザヤが神から「民の心を、かたくなにせよ」との不可解な宣教命令を受け、その不可解な命令に「主よ、いつまでですか」と問い続け、苦闘した生涯の活動記録ともいえましょう。ここでは、一人の人間イザヤが直面した時代背景や社会事情、諸問題とともに、青年イザヤ、壮年イザヤ、老人イザヤの背景と成長、それに伴う思想的深化が詳しく展開されています。
確かに人間イザヤを知ることによって、イザヤ書の理解がより具体的になり、より身近に読めるようになるのが本書の魅力です。例えば、イザヤ書四〇章二八―三一節、「あなたは知らないのか。……主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」すっと読むだけでも励まされるみことばです。しかしこのみことばが、八十歳近くの老人イザヤに……妻も死に、二人の息子も死に、偶像礼拝のマナセ王に疎んじられ、その取り巻きに迫害されている四面楚歌の孤独な老人イザヤに語られたことばだと指摘されると、心熱くなるではありませんか。
また本書の至るところに著者の該博な聖書知識と、パレスチナに何回も赴かれた広範な体験と地理的知識がちりばめられているのも、本書を読む楽しみの一つです。さらにイザヤ書六章と五三章のマソラ考察は、難解ではありますが、多くを学べる、他に類を見ない貴重な聖書研究の新しい切り口を示されたといえましょう。