ブック・レビュー 信仰良書然とした注解
金森宏之
日本キリスト改革長老 武庫之荘教会 牧師
ヨブ記は、本文の特定とその解釈において議論の尽きない難解さを伴う書であり、テーマとされる神義論や義人の苦難の解釈も多様であることを知った。著者は一流の旧約学者、ヘブル語学者であり学的な解説に多頁が割かれている。しかしながら、著者自身が人生の苦難にある中で注解執筆に入ったことから、信仰的、実存的な視点が振れることなく随所に信仰良書然とした注解がなされている。
ヨブの友人達は苦難の原因を罪の故であるとヨブを責める。しかし、ヨブは自分が義であるとして譲らない。ヨブの問題はあの壮絶な苦難にありながら、なぜ、神が突然交わりを絶たれたかである。恩寵によって与えられた主と僕の関係において、自分の義をヨブは疑わず、神に応答を求め続けた。最後に神は、ヨブに創造と摂理の主としての御力を語り示され、ヨブに臨まれた。ヨブはこの主の啓示により、主の御前に心を砕かれたのである。一見、主の語りかけはヨブの問いに応えていないかのようである。主の登場により、交わりが回復したこと自体がヨブにとって重要であり、満足を与えるものであったと第一版で解釈していた。三十五年後の今回の第二版では、第一版の結論を不十分とし、補注を加えている。九世紀のユダヤ聖書学者サーディア・ベン・ヨセフのヨブ記注解を助けとして、主の語りかけの意味を次のように述べている。主は、創造の業のみでなく、人の霊的な領域においても主権と統治を持つ方であることをヨブに示し、ヨブはそれを理解した。三十五年間このテーマを考え続けたことは、著者の真剣さを示している。この書は福音的立場からの本格的ヨブ記注解書であり、学術的、且つ、霊的益を与えるものと信じる。
評者は、本書の翻訳を担当された清水武夫師より契約神学に基づいてヨブ記の意義深さを知ることとなり、アンダースン博士の取り組んだ同じテーマについても深く教えていただいた。評者にとってヨブ記は旧約における福音書の如く愛する書となった。清水武夫師による『ヨブ記』(新聖書講解シリーズ旧約10:いのちのことば社)を併せて読まれることを薦めたい。