ブック・レビュー 八十年代の青春時代を思い起こしつつ
久米 小百合
アーティスト
一気に読んで、驚いたことがいくつかありました。まず、森住さんは久米と同世代だったんだ、ということ。柔らかくみずみずしいイラストを幾度か拝見していて、きっと自分よりお若いのではないかと思っていたのです。
また、クリスチャンとして信仰を持つ以前の斜めに構えていた姿が、良い意味でイメージを裏切ってくれました。こんな辛口で突っ込みの激しい、宗教嫌い、キリスト教などナンセンスと言い放つ時代があったんだと。たぶん多くの方も、森住アートからキャッチする感覚というのは、温かさ、優しさ、まるでふわふわの真綿に?ずりをしたときのようなぬくもりだと思うのです。でもその柔らかさは、最初はナイフのように尖ってギラギラ光っていた原石が、だれかと出会ったり別れたり、恋したり逃げたり、信じたり疑ったりしながら、時の川を流れることによって生み出された森住さんの人生のシェイプなのだとわかりました。
「私たち」と言っちゃいますが、一九五八年前後に生まれた人は、団塊の世代とも、その後の新人類と呼ばれた世代とも違います。旧新狭間の世代であり、無関心、無気力、無感動の三無主義世代の代表ともいえるかもしれません。それでも、ゲームもネットも携帯さえもなかった青春時代だからこその、素敵な出会いがこの本の中にも描かれていてうれしくなります。森住さんが「彼」(本書の中ではクリスチャンくずれのくずれ氏と呼ばれる)と出会う単館系作品の自主上映会場、情景が目に浮かびます。八十年代ならではの密度の濃い出会い、人と人が心をぶつけてものが言えるあの頃、当時まだ未信者の森住さんは彼に言います。「欧米の映画や歌の中に〝神”が出てくると困ると思わない?」でも、聖書を読んだことのある彼の反応は意外です。森住さん、ここからキリスト教に?みつき、礼拝に出かけることに。この物語の?末を知りたい方はどうぞ本書を手に取って久米のように一気に読んじゃってください!そうそう、眺めているだけで幸せな気持ちになれる「ちぎり絵ギャラリー」も併設されています。読んでから観るか、観てから読むか……それもまた楽しい素敵な一冊です。