ブック・レビュー 原発について、どう捉えるのか―
さまざまな視点からの意欲作
大坂太郎
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 ベテルキリスト教会牧師
福音主義神学会東部部会理事長
本書は、3・11を機に沸き起こった「原発問題」に対する福音主義の立場からの論考である。
だが福音主義の中でも、その論点は完全一致しているわけではないことがわかる。例えば、原発は天上の火を地上に下ろす暴挙であり、「地を従えよ」(創世記1・28)との主の委託を遥かに逸脱していると断言する者(関野祐二氏)がある一方、米国の著名な福音主義者の中に原子力礼賛の論調があることが紹介されていたり(ドン・シェーファー氏)という具合である。
けれども、これは決して原発に関する福音主義の立場が調停不能であることを意味しない。なぜなら、ここに収録されている論文は以下の基調音を共有しているからである。
第一に、原発問題をエコロジーより、広い文脈において語ろうとする試みである。例えば、鞭木由行氏は神のかたちに造られた人間の結果としての地の支配権を述べると同時に、堕落し、神のかたちを破壊された人間にはそれを完遂することができないことを述べ、その上でなお生態系を破壊しないかたちでの支配を志向すべきだと語る。
第二に、原発問題に倫理的側面から迫るという視座である。原子力技術の是非を教条主義的に捉えることに警戒的な斉藤善樹氏も、原子力がもたらすエネルギーを濫用する「貪欲」を指弾しているし、山口陽一氏はまた戦後日本の原発行政が声高に平和、安全の声を挙げた背後には核保有という隠れたアジェンダがあったことを指摘しているのだ。
震災から約二年半を経過し、「喉元過ぎれば……」という昨今、「エネルギー不足」「経済優先」という政府の発する号令は、再稼働への格好の理由づけであり、再稼働やむなしの声も日増しに大きくなっているように思える。だが、核のゴミを後世への最大汚物(山口氏)として献上することは実に倫理的問題である。福音主義に立つ者に求められているのは、ただ脱原発を連呼するのではなく、さらに進んで、罪贖われ、神のかたちを回復しつつある者として、シンプルライフを実践し、正しく被造世界をケアすることであろう。意欲作である。一読をお勧めしたい。