ブック・レビュー 原発事故により故郷を追われた教会がたどった軌跡―
榊原 寛
ワールド・ ビジョン・ジャパン理事長
お茶の水クリスチャンセンター副理事長
あの三・一一は、著者、佐藤彰牧師の誕生日でもあった。あの日から、福島原発近くに建っていた福島第一聖書バプテスト教会の佐藤牧師夫妻と六十名余の人々は、去る三月二十六日に福島県いわき市で新たな歩みを始めるまで、福島県会津、山形県米沢、東京都奥多摩―という流浪の旅に出ることになった。前作『流浪の教会』に続く本書は、一章がその記録、二章が説教、三章が証言から成っている。
一章は、教会のホームページで日々更新された佐藤牧師の生々しい心の叫びだ。倒れては、主を仰ぎつつ起き上がる信仰の流浪の姿に触れる。私は、時に疲れきっておられる佐藤師の姿、しかしみことばに生かされて望みを失わない姿、六十名余の皆様のことを思う牧師の苦悩など、そこにいのちをかけるすさまじさを感じることがあった。聖書には「この人たちが黙れば、石が叫びます」(ルカ19・40)とあるが、二章は、「苦しみの向こうに祝福がある」と佐藤牧師が語り続けるメッセージである。
三章は、旅の中で主が助け手として送った人々の証言である。特に奥多摩福音の家ディレクター、オッケルト牧師のことばは胸を打つ。母国ドイツからの帰国勧告の中でも日本に留まり、お世話くださったご夫妻とスタッフの方々に熱い心で御礼を申し上げたい。師は、「『さようなら』を言わなければならないと思うと、胸が痛くなるばかりです。皆さんがここから去る時は『さようなら』ではなく、『いってらっしゃい』と言うでしょう」と語る。そして佐藤牧師は、「これからは神と人々のお役に立つ教会となって、今までの支援と祈りにお応えするほか道はないと、心している」と締めくくっている。「いってらっしゃい」と送り出された先でも流浪の旅は続くかもしれない。それは福島第一聖書バプテスト教会の皆さんだけではなく、私たちもそうだ。しかし、地上では旅人であり寄留者だからこそ、行く先が分からずとも信仰によって出てゆくのだ(ヘブル11・13~16)。
読者は、苦悩の人生でも神様は見捨てることがないばかりか、希望は失望に終わらないという素晴らしいメッセージが、通奏低音のように流れていることに気づくだろう。