ブック・レビュー 教会に起こる問題を〝調和”という視点から考える

 『教会の〝調和〟 ―健全な姿をめざして』
畑野順一
日本フリーメソジスト岸之里キリスト教会牧師

著者の野田秀先生は、『教会生活のこころえ』『礼拝のこころえ』(ともに、いのちのことば社)などを出版され、多大な好評により、復刊もされています。このたび、『教会の〝調和”―健全な姿をめざして』を上梓されましたが、前出の著書の延長線上にあることは言うまでもありません。
「〝調和”をキーワードに、『男性と女性』『若者と年配者』『建前と本音』『教会と社会』など、教会内の課題を考える」との宣伝文は、内容をずばりと表しています。
「しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです」(Iコリント12・24)のパウロのことばが本書の中心に据えられています。キリストのからだである教会にとって〝調和”は非常に大切であるということがテーマです。
大変切実な課題として、「牧師と信徒の調和」は、冒頭にかかげられています。結語として、「育ち、性格、気質、習慣などからくる牧師と信徒の間に生じるずれは、愛と忍耐によって埋めていくしかありません。牧師も成長しなければなりません。牧師と信徒の調和が教会にとって必須のものであるならば、その実現のために主が働いてくださることを信じて祈りたいと思います」(一八頁)と書かれ、本書の立場を明確にしている文章だと思います。
そのほか、取り上げられている教会内での課題の大半は、社会一般でも見られる現象(課題)そのものです。教会の内と外とを出入りする教会員にとって、聖書的〝調和”という視点は、なかなか抽象的で理解の難しいことでしょう。課題によっては、牧会者の意向、あるいは教団の姿勢に左右されやすく、またそれが教会の鉄則であるかのような振る舞いがなされてもいます。しかし、現代を象徴する「多様化」という大波が教会にも押し寄せ、〝調和”という聖書的処方箋が必要になってきています。野田秀流のこの処方箋は、「こころえ」から必然的なものであり、読者に聖書的〝調和”という安定感を与え、示すものです。