ブック・レビュー 熱河宣教は〝国策”なのか―?宣教の原点を問う意欲作

 『日本の植民地支配と「熱河宣教」  』
中村敏
新潟聖書学院院長

本書は、戦前「熱河省」と呼ばれた、中国東北部地域でなされた日本の教会による宣教について、三人の研究者がまとめた論文集である。一読して感じたことは、熱河宣教についての内外の資料を可能な限り掘り起こし、それまでの先入観にとらわれず、その真相に迫ろうという、著者たちの誠実さである。
本書でも論じられているように、戦前の日本の海外宣教は、多くの場合、日本の植民地支配という国策と結びつき、精神面からそれを補完していく宣撫工作の役割を担っていった。その典型的な例が、日本組合教会による朝鮮伝道である。しかし、そうした大勢の中で、福井二郎らによる熱河宣教は例外であるという見方が一般的であった(4頁)。
評者も本書を読むまでは、それに近い見方をしていた。それは、主に熱河宣教に従事した人々の資料に基づいて理解していたからである。しかし本書は、そうした見方が幻想であり、熱河宣教もまたしっかりと日本の満州支配という国策に組み込まれたものであることを、現地の丹念なフィールドワークに基づいて描き出している。
本書でも引用されている中濃教篤著『天皇制国家と植民地伝道』には、「『伝道』とか『布教』とかは政治を超越したものなるが故に、すべて『聖』であり、『善』であると思いがちであるが、個人の主観と客観的役割とが合致しないことは意外に多いのである」と指摘されている。
本書は、まさにこの「客観的役割」にその焦点を合わせている。宣教という「聖なる事業」が展開された熱河の地は、「伝道の地」だけでなく、日本軍が三光作戦(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)を徹底して行った「侵略」の最前線でもあり、日本人伝道者たちは意識的・無意識的に宣撫工作を担わされていったのである。
このように本書は、実に重たい内容を持っているが、渡辺信夫氏が本書の冒頭で述べているように、「宣教の全般にわたって、真理にふさわしいあり方とは何か、宣教は何を目指すのか」を問い、私たちを「宣教の原点に呼び戻す呼びかけをしている」意欲作と言えよう。