ブック・レビュー 生身の存在に出会い、その声に耳を傾けること
吉川直美
単立 シオンの群教会 牧師
震災から四年経ち、東京はいつの間にか煌々と光を放っています。あの春、福島の放射能リスクの上にその輝きを享受していたことを恥じ、二度とあの安逸な日常には戻れまいと覚悟し、手放すべきだと自らを戒めたはずでしたが。
かたや、被災した東北、福島にとどまる人々、福島を離れざるをえなかった人々にとっては、何ひとつ元には戻っていません。福島で生きていくとはどういうことなのか、本書の冒頭から、木田氏のご家族が直面している甲状腺異常という厳しい現実に目を覚まさせられます。
たじろぎつつ覚悟してページをめくると、震災当時の緊迫した状況、支援の立ち上がりから、福島内部の痛々しい分断、低線量被曝の影響など、私たちが耳を傾けなければならない事実が語られる一方で、福島に特化された対談ではなく、もっと存在の深みに連れていってくれるのだと気づかされます。それは本書が、震災直後から福島に足を運び、子どもたちの保養のために尽くしてこられた朝岡勝氏が、その中で出会った木田氏に全人的な関心を抱いたことから生まれたからでしょう。
福島に生まれ育ち、福島を愛し、震災直後を暗中模索し、福島の人々の分断に痛み、なおそこに立ち続けている牧師「木田惠嗣」その人の声を聞き、人生の軌跡をたどりたい──互いの存在そのものを確かめ合う対話に、読者である私も引き込まれていきます。情報や数字データが錯綜する中で、自分が何を選び、どこに立つかは、このように生身の存在に出会い、叫びや呻きを聞くことにかかってくるのではないかと思わされるのです。
福島の苦しみをつぶさに見て、ただならぬ辛酸をなめつつも福島を愛し「福島で生きていく」人の姿に、罪に染まったこの世界に住み、十字架まで従われた主イエスの姿が重なります。私たちは福島を通して「存在」を問われ、「そこ」を引き受けて生きるように招かれているのでしょう。「あなたはどこにいるのか。あなたの弟はどこにいるのか」と。