ブック・レビュー 短く、ズバッと語られる霊の奥義
髙橋昭市
関西聖書学院 前学院長
明るく楽しい装丁、ずっしりと手にくる心地よい重さ、読みやすい大きさの活字と行間。読者に対する行き届いた配慮が、この書物の外観から感じられました。
しかし読み始めようとしたとき、ひとつの心配を覚えたことも事実です。わずか十六章のマルコの福音書が、講解書では四六〇頁にも膨張している。しかも、ぎっしりと中身が詰まっている。はたして読み続けることはできるだろうか。興味を失ったり、疲れたりして、途中で投げだしたりしないだろうか、という心配でした。
けれども、読み進むうちにそのような心配はどこかに消し飛んでしまい、強力な磁石に引きつけられた鉄片のような状態になっていました。その強力な磁力がどこからくるのかを考え、それが「文体」から来ることに気がつきました。本文の中から、中心的な一文を引用します。
「聖書は霊の奥義である。心で信じなければその奥義の扉は開かない」(三三八頁)
ためらうことなく、信じることを短いことばでズバリと言い切っています。この強力な「文体」が忠実な担い手として、全編を支えているのです。著者は、真理でいます主に仕え、聖書に仕え、読者に仕え、しかも自らは影の存在に徹しています。
恵みとしての信仰にあずかり、霊の奥義に接するために、読者は聖書のことばに直接対面しなければなりません。本書で読者は、聖書の原典を直接読んだときの感触、感動に近いものを味わうことができます。本書全編にわたるその喜びは、語学に熟達した著者の骨身を惜しまない愛の労苦の実でありましょう。聖書篤学の師である著者の「愛の労苦の実」は、本書全般に溢れています。
本書は、「読んだ。もうわかった」というような一過性の読み方ではなく、机辺に置いて、何回でも、また折に触れて熟読すべき講解書であり、広範囲のクリスチャン向けの書でありましょう。