ブック・レビュー 神の不在への真摯な問いと希望
小渕春夫
出版社あめんどう 代表
フィリップ・ヤンシー 著、山下章子 訳私たちは東日本大震災が起きた時代を生きる者として、直接の被災者にははるかに及ばないが、皆が傷つき、いまだにその苦悩を引きずっている。本書は、そうした私たちに対し、「キリスト教信仰に望みはあるか」という実存的な問いに答えようとする渾身のメッセージだ。ヤンシーは本書の最初に、まだ記憶に新しい米国での惨劇を取り上げ、その後、震災一年後に訪問した日本の被災地で目撃したこと、被災者の証言、具体的数値を用いて津波のもたらした被害のすさまじさを描いている。さらに同年に訪問した流血の地サラエボ、米国の田舎町で起きた銃乱射殺人事件の現場を訪れ、悲しみに沈む人たちを前に語りかけた。
居間で私たちが目にするテレビや新聞が報じない、身の毛がよだつ血みどろの修羅場、悪の現実に、文字を通して触れることができる。そして、誰もが直面する問い、そんなとき「神はどこにおられるのか」「なぜ神は介入してくださらないのか」という難題に取り組む。さらに、キリスト者と称する人たちが過去行ってきた蛮行、すさまじい暴力、殺戮の歴史に触れ、私たちの抱くロマンチックなキリスト者像を打ち砕く。
「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」という御言葉を引用し、さながらヨブ記のように、まだ傷の癒えない被害者、被災者を苦しめる信仰者の存在、神の裁きを宣告する厚顔な原理主義者の存在に触れている。残虐な行為を行うのは悪人というより、ごく平凡な人だという哲学者ハンナ・アーレントの衝撃的な言葉を本書は裏づける。
一方、そうした中での神の存在、希望をもたらす信仰者の姿、教会のあり方にも多く触れ、他の宗教に見られない独自のあり方を浮き彫りにする。最後に紹介される、死の直前に記したボンヘッファー牧師の祈りに心が揺さぶられる。二百頁足らずの小著だが、自然災害、暴力、戦争の絶えない現実を前に葛藤するキリスト者にとって、現在入手しうる最良の指南書ではないだろうか。