ブック・レビュー 福島の子どもたちに
どのような支援が必要なのか
崔 善愛
ピアニスト
「子を連れて、西へ西へと逃げてゆく。愚かな母と言うならば言え」と詠う歌人・俵万智さんは、長男を連れて沖縄・石垣島へ避難し今も住んでいる。このうたで俵さんは、子どものいのちが何より大切だと思う心をもし愚かだというなら、いったい愚かじゃないものとは何か、子どものいのち以上に大切なものはあるのか、と訴えた。今も同じ想いを持つ福島をはじめとする東北、関東に住む母親たちが、見えない放射能の影響をおそれながらこれ以上「何も起こらないこと」を祈りながら日々過ごしている。
あの日以来、母乳をわが子に与えてよいものかと母親は迷い、もう結婚できないかもしれない、子どもを産めないかもしれない、と高校生はうつむく。問題は、このような声さえ「愚か」であるかのごとくかき消されていることだ。
二〇一一年の夏休み以降、福島では自治体で放射線量測定器が配布され、子どもたちはそのガラスバッジをつけ、マスクをしながらも、思いっきり外で遊べない。放射能が子どもから奪ったものは大きすぎる。
著者の中島恭子さんは、青森で大地震に遭った。
その震災から一年後、東北ヘルプから派遣され、福島の被災地を回った。母親たちが見出した一筋の希望が「子ども保養プロジェクト」だった。このとき彼女は「覚悟」を決めたという。被災地の子どもたちに寄り添うという覚悟、そしてプロジェクトのコーディネーターとなった。中島さんは、三十年以上幼稚園教諭として子どもたちと過ごし、現在は青森の教会牧師、兼「にじのこども園」園長を務める。彼女の半生は「いのちの尊さ」と常に向き合うものだった。幼い頃に結核をわずらい、結婚後に授かった五人のお子さんの内お二人を失う。その消えることのない悲しみを背負うからこそ、きっと多くの子どもたちをわが子のようにいとおしく思っておられるにちがいない。
実際、福島の子どもたちにどのような支援が必要とされているか、なかなか伝わらない。この本にぜひ出会っていただき、全国中の教会、あるいは市民によって、この保養プロジェクトが展開されることを切に願う。