ブック・レビュー 終末論を語る上で欠くことのできない書
岡山英雄
日本福音キリスト教会連合 東松山福音教会 牧師
この書は終末論研究において大きな貢献をしたラッドの最後の著作であり、今後キリスト教終末論を語る上で欠くことのできない書となると思われます。預言の解釈、イスラエル、中間状態、再臨、大患難、携挙、審判、神の国などについて的確に論じられており、数多くのラッドの著作の中でも最も総括的な書を、八年かけて翻訳してくださった安黒先生に感謝します。
私事になりますが、三十余年前、神学校の卒論で黙示録の釈義と取り組む中で、ラッドの著作と出会い、その説得力に富む議論に目が開かれ、積年の霧が晴れていくような感動を覚えた日のことを思い出します。
解説にあるように、この書は一九五〇年代の論争の中から生まれました。その頃アメリカの福音派では古典的ディスペンセーション主義の終末論が支配的であり、その牙城であったダラス神学校学長のワルブードは、イスラエルと教会は別個の存在であり、終末の大患難時代の前に教会は携挙されるが、イスラエルは地上に残され、やがて再臨後の千年王国において神殿礼拝が再開されると主張していました。
それに対してフラー神学校のラッドは、イスラエルは独自の役割を持つが、教会とは別個ではなくキリストの民として一つである。教会は大患難時代を通るが、その中で守られ証言を続け、再臨のキリストに会い、復活の勝利にあずかると反論しました。
鍵となるのは旧約預言の解釈であり、ラッドは新約における旧約の引用を注意深く検討し、新約の光によって旧約預言を解釈することの重要性を強調しました。論争の結果、現在では、ダラス神学校は、グレイス神学校やタルボット神学校と共に、修正ディスペンセーション主義から漸進ディスペンセーション主義へと変化し、ラッドの立場に近づいています。真摯で建設的な討論によって、神学校のレベルでは一致点が見いだされつつあります。
ラッドの良書がさらに翻訳され、みことばに根ざした終末論研究が深められるようにと願っています。