ブック・レビュー 聖書のみことばが熟考されるために
三浦 譲
日本長老教会 横浜山手キリスト教会牧師
ヨハネの黙示録講録が収められた『小畑進著作集』第一~四巻に続く、第五~六巻。第五巻のペテロの手紙第一講録と第六巻の前半に収められたペテロの手紙第二講録は、著者がそれまでの東京における宣教の働きから退き、六十五歳にして四国は讃岐の教会に赴任して最初の三年余りの間に祈祷会で語った一節ずつの講解説教です。計百七十八回にわたります。第六巻の後半の伝道者の書講録は、著者が八十歳にしてその讃岐の教会を去る最後の時、主日礼拝の講解説教です。こちらはもう少し長いテキストを扱った計十三回の講解説教です。これらはすべて、著者の伝道生涯の総まとめの説教のようにも聴こえます。
印象に残ったことをいくつか……。一つ目。説教の後に歌った讃美歌まで記されています。礼拝で語られた講録では説教後の祈りまでも含められます。説教、祈り、賛美。著者はこれら一連の流れを大切にしました。二つ目。聖書のテキストが原文で、そして現代の注解書によっても確認されます。古代教父や宗教改革者たちの語ったことばの引用、様々なキリスト教信条の引用のみならず、古今東西の宗教や哲学思想、文学作品も多数引用されています。聖書のテキストがこれらの多種にわたる思想に出会い、著者の頭の中で自由に交錯します。三つ目。祈祷会における一節講解説教によって、著者が神のことばの一句ともおろそかにしないことに驚かされます。一節講解説教の再評価です。
晩年を迎えたペテロによる手紙。虚無主義・教養主義・快楽主義などあらゆる人生の在り方を考えた上で、創造主なる神に向かう伝道者の書。これらが、幾多の苦労を重ねてきた老牧師・小畑進という人物を通して説き明かされる時、他の人には真似できない、また一つの違った味がかもし出されます。だとしても、著者がその全人格を通して語ったのは、ただただ神のみことばでした。聖書のみことばに再度光が当てられ、読者ひとりびとりが聖書のみことばを熟考させられるのではないかと思います。この二冊の書を読む者が、その生涯の最後まで聖書のみことばを生きる者とさせられたら、それこそが著者の願ったところでしょう。
『小畑進著作集』
第5巻 ペテロの手紙第一講録第6巻 ペテロの手紙第二講録、伝道者の書講録
A5判 5,460 /5,250円
いのちのことば社