ブック・レビュー 聖書の味読とは
山内一郎
関西学院大学名誉教授
楽しみにしていた鍋谷堯爾先生の『創世記を味わう』シリーズの第四巻が出版されました。
ジョン・ウェスレーは「味読」の内容範囲と順序を「精読(read)―熟考(meditate)―習得(learn)―伝達(teach)」の四段階で説明しています。これはちょうど仏教語で悟りの程度を示す「皮肉骨髄」に対応していると言えるでしょう。そして鍋谷先生のご本も、この四段階で創世記の「味読」がなされていると感じました。
まず第一段階の「精読」です。本書では、各種の日本語訳を並べて比較検討することにより、ヘブル語の特質と翻訳の難しさを浮き彫りにしています。またヘブル語の一つひとつの語が、聖書全体の中でどのように用いられているかも視野に入れています。
続く第二段階の「熟考」です。本書では「詳細の検討」として、各翻訳を細かく比較し、ルター、カルヴァン、ボンヘッファーなどの解釈を適宜引用しながら、創世記が何を語りかけているのかを丁寧に読み込んでいきます。
次に第三段階の「習得」です。本書では特に一五二ページ以下の「死についての再考」が重要な役割を果たしています。聖書と科学との対話、あるいは宗教史や比較宗教を通して、「死」の持つ意味を深く考察していきます。そして、それはそのまま現代を生きる私たちへのメッセージとなっているのです。
最後の第四段階は「伝達」です。ただ受け止めるだけでなく、それを伝えていくことです。一級の旧約学者でありながら、それだけにとどまらず、教育者として、また伝道者としても活躍してこられた鍋谷先生の真骨頂とも言えるでしょう。これはすでに、森優先生との共著『老いること、死ぬこと』(いのちのことば社/二〇〇三年、改訂新版二〇一一年)などのご著書にも結実していると思われます。
この創世記のシリーズはこの巻でひとまず完結し、鍋谷先生は続いて『イザヤ書を味わう』に取り組まれるそうです。先生のライフワークであるイザヤ書をどう味読していかれるのか、今から期待しています。