ブック・レビュー 過去の省察から
今の闘いへと進む講座の成果


川上直哉
東北ヘルプ 事務局長

タイトルに「教会の闘い」とある。通常、こうしたタイトルには「過去の闘い」が語られることが予想される。しかし、本書はそうではない。過去の省察から今の闘いへと進む現場が、この書物の中に展開している。
「信州夏期宣教講座編」とある。一九九三年から開始され、この講座の第二十一回目の成果が、本書となっている。ホームページでこの講座のスケジュールを見ることができる。本書に開陳された発題を受けて、どんな討論と自由時間があったのだろうと、想像に胸が膨らむ。この講座は、その当初から、日韓中の三国を視野に入れて、天皇制近代日本と向き合ってきた。その息遣いは、本書にも色濃い。
以下、本書所収の論文を簡潔に紹介する。
復活した自民党政権下で進む暗く重苦しい足取りの中で、渡辺信夫は格闘している。その衒いも飾り気もない知的な奮闘の様子が、冒頭の論文にはっきりと記されている。その生々しさは、読む者を刺激してやまない。
続く野寺博文は「原発問題に関わってこなかったこと」の反省と恥を告白し、その議論を始める。専門家ではない素人が発言すべきだとの確信をもって進められるその議論に、新しい風が吹く感を覚えさせられた。また、一九五四年以来の原水爆禁止運動が四分五裂する背景を解き明かすその筆致に、これからの「反原発」の暗い展望も重なって見えたことは、被災地・被曝地に働く牧師にとって、極めて有益なものとなっている。
続く水草修治は、申命記一七章一六~二〇節から視座を得て、現在の日本国が執っている軍拡路線を批判的に検討し、「自民党憲法改正草案」を丁寧に腑分けしていく。
そして李省展が日韓中の三国を比較してその社会構造を教会とのかかわりで整理する。教会が基礎になって近代社会を形成した韓・中と、最初から国家がすべてを支配しようとした日本と、その比較考察は極めて示唆に富んでいる。
最後に笹川紀勝が「共生」の途を宗教改革の時代に尋ねる。他の論者には比較的薄かった「キリスト者以外のもの」を包摂する視野が、ここに補完されている。