ブック・レビュー 風化させてはいけない
原子力による体験と悲劇

 『ヒロシマからの祈り 』
木田惠嗣
郡山キリスト福音教会牧師

昨年十月にチェルノブイリを視察した折、公園に「Hiroshima」「Fukushima」という二枚のネームプレートが掲げられていた。広島と並ぶほど福島が有名になったのかと複雑な気持ちになった。
しかし、広島に原子爆弾が投下された直後の生々しい体験が、昨日のことのようにつづられた本書を読んだとき、やはり、広島・長崎の体験は決して風化させてはならない、この国の大切な原点の一つだと痛感した。
著者の栗原さんは、広島に原爆が落とされたとき、広島高等女学院の二年生で、学徒動員で東洋工業の機械の前に立っていたという。その瞬間の衝撃や、その直後の混乱の記憶は、原爆投下から六十八年ほど過ぎた今も、詳細に至るまで非常に鮮明である。特に、第二章「『あの日』のこと、そして…」に記された、八月六日から終戦の日直後の八月十六日までの記憶は、圧巻である。
著者は原爆投下の翌日、父親の安否を尋ねて広島市内に入り、無我夢中で探索を続けたが、結局、その行方はわからず、日が暮れた。たまたま出会った友人とともに、留学生の方たちと広島文理科大学の校庭で野宿をすることになった。その一連の描写からは、焼け野原になった広島のにおい、熱、生々しい光景が伝わってきた。
今日であれば、立入り禁止地区となっていたであろう場所で野宿をし飲食をする……。その過酷な生活に胸が締めつけられるように感じた。そのような状況を、力を合わせてともに乗り越えた南方留学生の方々との間に生まれた交流からは、温かいものが心の中に広がった。
その後、二次被曝の症状を患い、ABCC(原爆傷害調査委員会)に勤務した栗原さんの歩みは、貴重な証言に満ちている。
フクシマの私たちを覚えて、栗原さんが灰色の苦しみのオルゴールを開いてくださった勇気に励まされ、また、そこに込められた祈りに、ともに頭を垂れた。