ブック・レビュー 21世紀ブックレット30
『主の民か、人の民か』

21世紀ブックレット30『主の民か、人の民か』
東海林 勤
高麗博物館 理事長

彼らのたたかいは、今日の私たちのたたかいでもある

 今どうしても問わなければならないと、切迫した思いで集まった人びとの記録である。四人の講演の要点は次の通りである。
岩崎孝志氏・・・
 明治政府は国史編纂の機関を設けて、「建国神話、臣民の忠誠、日本国家・国民の優秀性」を柱とする日本正史を構築した。キリスト者はこれに対して、自分の歴史観を打ちたてようと苦闘した。天皇制を否定できなくてもその神話性を排し、天皇を超える普遍的価値として、神の愛による「四海同胞」、天国すなわち道徳的世界、人格主義にもとづく民本主義等々を主張した。しかしきびしく弾圧され、犠牲者、転向者を出した。今日、皇国史観はけっして過去のものと言えない。戦前のキリスト者たちの真実なたたかいは、私たち自身のたたかいを促している。

野寺博文氏・・・
 戦時下に神社参拝を断固拒否して獄死した朱基徹牧師のたたかいの根拠はもちろん聖書であるが、長老派の諸信条にある抵抗権の思想も大切な役割を果たしている。今の日本の教会は神の言葉を正しく語らずみことばに従わず、講壇から天皇制問題を語ることもせず、世に妥協して「人畜無害」になっているのではないか。

金山徳氏・・・
 平壌神学校系の牧師が神社参拝強要に屈しなかったのは、聖書の逐語霊感・無謬性に立つ長老 派宣教師たちの聖書中心信仰が神学校で教えられたからである。同じ長老派でも、よりリベレルな朝鮮神学校(のちの韓国神学大学)の長老派(韓国基督教長老会)は、カトリック、メソジストに続いて神社参拝を是認した。
 基督教長老会に知人が多い評者は、この事実を重く受け止めて考えたい。韓国教会が分裂した原因は日本の植民地支配にもあり、日本の教会はこれに加担したのだから、私たちの責任を問わなければならない。

渡辺信夫氏・・・
 朱基徹牧師の神社参拝拒否と獄死は、ただ「主の民がそこにおり、その民に仕える務めが自分にある」という意識から発している。それは長男・朱寧震伝道師が父のたたかいの時には日本の神学校に留学しながら、戦後平壌に帰って労働党の支配下に踏みとどまって処刑されたという事実についても、父と同じ意識からであると、感動をもって伝える。
 渡辺氏が自分の神社参拝の罪を深い思慮をこめて告白しておられ、「主の民」について思索を深め、自分自身のたたかいを探っておられることなどこの本にはどなたでも読み返し考えるべきことが豊かにある。