ホーリネス弾圧事件からの継承 天皇中心の神の国思想と真の福音化
本間義信
ウェスレアン・ホーリネス教会連合 連合ホーリネス中央教会 牧師
一国の首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言して物議を醸した。個人の思想信条の自由はあるだろうが、総理大臣として発言した自分の言葉の重大性が分かっていないということの方が、日本の将来のためにずっと心配である。五十八年前にあったホーリネス弾圧六・二六事件の頃と比べて日本人の意識は成長したのだろうか。
一 ホーリネス弾圧事件の背景
【1】その歴史的背景
明治政府が、大教院を日比谷に建て、神道をもって国家の理念にしようと決意した。一八六八(明治元)年神仏分離令が出され、全国に廃仏毀釈運動が起こり、仏僧に還俗か神官になることをせまり、仏寺仏像が破壊された。
【2】その民俗的背景
稲作国家日本は、米を作るために水の管理を村落共同体で行わねばならなかった。その結合の中心になるのが氏神で、先祖を一つにする共同体は、和を優先的に大切にした。和を乱す者やよそ者は排斥された。国家神道によってこの精神が国家的に拡大したのである。
一八九一(明治二四)年一月の内村鑑三不敬事件がその例である。第一高等中学校の始業式で内村が教育勅語に拝礼しなかったので、キリスト教信仰が非難され、彼は学校を追われた。一種のキリスト教迫害であった。
【3】その法制的背景
一八八九(明治二二)年明治憲法が発布され、信教の自由についても規定されたが、「国の安寧秩序を乱さない限り」という枠がついていた。常識的には「淫祠邪教」でなければ大丈夫だとされていたが、「安寧秩序」をどう理解するかで、信教の自由にいくらでも制限を加えることができたのである。
【4】当時の政治的背景
日清・日露の戦役を耐え抜いた日本は、遅く出てきた帝国主義国家として、韓国を併合し、中国大陸に侵攻しつつあった。
一九二八(昭和三)満州某重大事件。
一九三一(昭和六)年満州事変。
一九三二(昭和七)満州国建国宣言
五・一五事件(犬養首相暗殺)。
一九三三(昭和八)日本の国際連盟脱退。
一九三六(昭和一一)二・二六事件(斎藤内大臣、高橋蔵相暗殺)。
一九三七(昭和一二)日中戦争始まる。
一九三八(昭和一三)国家総動員法発動。
一九三九(昭和一四)第二次世界大戦開始。
一九四一(昭和一六)太平洋戦争始まる。
国家は国民に命も財産も全く献げることを要求し、思想信条など人間の内面まで支配しようと望んだ。
【5】国家の宗教対策
一九二五(大正一四)年制定の治安維持法は共産党への対策であり、全七箇条であった。
一九四一(昭和一六)年には、それが六五箇条のものに改正されたのである。改正第七条には「国体を否定し、または神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布することを目的として結社を組織したる者……役員……指導者……無期又は四年以上の懲役……加入者、目的遂行者は一年以上の有期懲役……。」
宗教も弾圧される条件は整った。また一九三九(昭和一四)年宗教団体法が成立したが、宗教団体の中に神社は含まれない。神社はどんな宗教者も拝むべきものとされたのである。
神道系の大本教は、天皇支配の教義たる記紀神話と異なる教義を持っていたため、大正、昭和の二度に及ぶ激しい弾圧を受けた。
二 六・二六ホーリネス弾圧事件
【1】その前兆としての小山宗祐の死
一九四一(昭和一六)年一月、函館聖教会の牧師補小山宗祐は憲兵隊に検挙され、三月二三日に獄中で自殺したとして死体で返されてきた。彼は神社参拝をしなかったことで隣組によって密告されたのだ。日本人の異分子排斥である。
【2】旧ホーリネス教会三派弾圧
一九四二(昭和一七)年六月二六日、日本基督教団第六部(元日本聖教会)、同第九部(元きよめ教会)、宗教結社・東洋宣教会きよめ教会に対する一斉検挙が行われた。第二次及び外地での検挙で合計百三十四名の教職が投獄された。このことで七名の牧師が殉職した。
【3】特高によるホーリネス信仰の評価 「宗教関係犯罪の検挙取締状況」によれば「我国体を否定し、神宮の尊厳を冒涜すべき内容の教理を信奉宣布し来れる不穏結社」とされている。一九四三(昭和一八)年三派教会は、神宮への不敬、国体変革を企図せる罪によって宗教結社禁止となった。
一九四五(昭和二〇)年一〇月二七日大審院は治安維持法廃止による免訴を判決した。同種の告発を受けていた無教会の浅見仙作は、同年六月大審院で三宅正太郎裁判長より無罪の判決を受けた。司法の良識を喜びたい。
自己と異なる者に対する日本的和の立場からの反発は、今日も克服されていない。私の内に日本的和との妥協はないのか。自己の真の福音化こそこの国の新生の糸口となろう。