ホーリネス弾圧事件からの継承 真実に福音に生きるために
――戦責告白と「悔い改め」を問う

教会堂
上中 栄
日本ホーリネス教団 鵠沼教会 牧師

 牧師家庭に育った筆者は、子どもの頃から劇的な罪の悔い改めの証しを聞いていた。十代の後半、それなりに信仰を得た筆者は、かつて万引きをした店へ行き、昔聞いた証し通りに謝った。

 しかし恥をしのんで告白するが、その時、自分の顔に「笑み」が浮かんできたことを覚えている。神に赦され、人にも赦されるであろう安堵感からくる罪の意識の低さが露わになった、実に軽々しい悔い改めであった。「キリスト者」を装った苦々しい思い出である。

 一 戦争責任の告白
 さて、戦時中に弾圧を受け、自らを被害者と理解してきたホーリネス系諸教派の中から、戦争責任を言い表す言葉が発せられた。筆者の連なる教団に関して言えば、その前身である日本聖教会の神社参拝や宮城遥拝、認可を得るための教義の変更、国家の圧力に屈しての日本基督教団参加、さらに弾圧時の裁判できよめ教会の牧師との違いを強調しての自己保身等を悔い改めた。

 それは天皇制に屈し、信仰告白を貫くことが出来なかったためであるが、現在の教会も、天皇制との対峙は避けられない日本社会にあって、信仰告白に生きるという同じ課題を負っているとの自覚の表明でもある。

 このような営みについて、被害者から加害者への意識の変化が注目されたり、好意的な評価や至極当然との辛辣な批判も耳にした。たしかに私たち自身も私たちに対する評者も、「当事者ではないから言える」という面はあるだろう。

 そこで日本の諸教会は、教会は時と場を越えた共同体であるという理解によって戦争責任を言い表した。先達の過ちを、現在の自分のこととして悔い改めた。それは神学的にも正しい教会観と歴史観であろう。

 二 問われる悔い改めの「質」
 しかし、先達の過ちを負うことの難しさは、時間的な開きだけにあるわけではない。教会の「悔い改め」の質に問題があると思われる。戦時下の教会の歩みを振り返る営みの中で、しばしば冒頭の筆者の体験と、似た経験をするのである。

 その一つは、当事者でないために、事実を知ろうとしなくても、おおよその情報だけで、自らの心を探られずに悔い改めができてしまうことである。教会は痛みも恥も感じずに、笑顔で悔い改め、謝罪することもできる。

 さらに悔い改めることで、自分たちが善良なキリスト者であると、無意識のうちに自負することさえできる。主イエスの譬えに登場するパリサイ人が自分が《この取税人のようではないことを、感謝します》(ルカ18・11)と祈ったように。

 日本の教会は、簡単に悔い改めすぎてはいないだろうか。それは何も自由主義史観の人々のように自虐的であってはならないということではない。むしろ真剣な悔い改めが必要であるが、しかし教会の罪の意識が薄く、それでいて罪の告白や謝罪の言葉が簡単に発せられているように思われる。

 例えば戦争責任の自覚によって、アジアや沖縄に目が向けられても、それらの多くは同情の域を越えているだろうか。日本伝道会議の沖縄開催の必然性は何だったのか。同じく政治や社会の動向に関心がもたれても、そこに教会の主体性はあるだろうか。日本の道徳や教育を憂えても、教会の固定した価値観と世との開きに教会は気づいているだろうか。

  三 福音の豊かさに生きるために
「悔い改めへのこだわりは、ホーリネスの教派的な特性か」と尋ねられたことがある。自己愛や「ありのまま」等、自らを肯定する言葉がはやる今日のキリスト教界にあって、悔い改めとは教派的特性でしかないのか。

 しかし《罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれ》(ローマ5・20)るとある通り、教会が神の恵みをどうとらえているか、その福音理解が問われている。今日、戦時下の教会の過ちについては何でも言える。しかしその本質的な問題は、誤った福音理解のゆえに、天皇制にすりより信仰告白を貫けなかったことであり、それはそのまま今日の私たちの課題である。

 安易な悔い改めは、安易な福音理解しかもたらさない。日本の教会の社会分析や人間理解が安易であってはならない。教会が福音に深く根ざす時、歴史と社会に対する目が開かれる。人間の価値は、その内面性だけでなく、社会性においても認められなければならない。これらは、本来一つの事だからである。このように私たちが託されている福音は、極めて尊いものである。

 それだから教会の戦争責任とは、多くの穏健なキリスト者が懸念するような社会問題ではなく、現在の自らの福音理解を問う信仰の事柄である。歴史を振り返り、自らの在り方を省みる教会の展望、すなわち福音宣教の道筋が、確かな福音理解に基づいて開かれるよう願わされる。