ミルトスの木かげで 第2回 When Mama ain’t happy…

中村佐知
米国シカゴ在住。心理学博士。翻訳家。単立パークビュー教会員。訳書に『ヤベツの祈り』(いのちのことば社)『境界線』(地引網出版)『ゲノムと聖書』(NTT出版)『心の刷新を求めて』(あめんどう)ほか。

英語の表現で、「When Mama ain?t happy, nobody?s happy」というものがある。ママがハッピーなら家族みんなもハッピーだし、ママがハッピーでなければ誰もハッピーではない、という意味だ。これはアメリカに限らず、日本においても当たっているかと思う。母親とは、良いか悪いかは別として、家族のムードメーカーなのだ。
しばらく前、わが家でこんなことがあった。
二階でペンキ塗りをしていた夫が、作業後、まだペンキが半分以上入った缶を階下に運ぼうとして、あろうことか階段の途中でそれを落っことしたのである。
「うわー、大変だぁ!」
悲痛な叫び声とともに、鈍い音がした。
わが家は階段の下がちょうど玄関になっており、階段を降りた真正面には、世界の美術館の画集を飾ったコンソールテーブルがある。
とてつもなくイヤな思いで玄関に駆けつけると、床とカーペットが真っ青に染まり、壁やテーブルや画集にも青ペンキが飛び散っていた。これが赤ペンキだったら犯罪現場のように見えただろう。
「どうして……あなたって人は!」
あまりの惨状に声がうわずる。夫は情けない顔で階段の途中に立ち尽くしている。
子どもたちもすぐさま駆けつけた。しかし私と違い、子どもたちは優しかった。父親を一言も責めず、「片付けよう!」とすぐにボロ切れを持ってきた。
「みんなでやれば、何とかなるよ」
ワイワイ言いながら、家族総出でベタベタにぶちまけたペンキを拭き取りにかかった。壁はだいたいのところを拭き取ったら、ペンキを塗り直せばいいので、あまり心配いらないが、カーペットにたっぷり染み込んだ分は厄介だ。
夫と私とケンとみんは、足を青く染めながら拭き取り作業。ま~やは、ペーパータオルを取って来たり、ゴミ袋を取ってきたりのパシリ役。
私が汗だくになってブツブツ言いながら作業していると、同じく汗だくのケンが、「これはこれで大変かもしれないけど、日本の人たちが地震と津波の後、どれだけ一生懸命がんばっているかを思えば、こんなの大変なうちに入らないよ。日本の人たちは、これよりも百万倍大変な思いをしているんだから」と言った。
まったくその通りだ。これくらいのことで不平を言ったりして恥ずかしい。ケンはしきりと、「こんなことからでも、神様は何か良いものをもたらすことのできるお方だからね。何がどうなるかはわからないけどさ!」と言っていた。
みんも、がぜん張り切って、まるで専門家のようにペンキの拭き取り方のコツを解説しながら、明るくせっせと作業してくれた。
ま?やはいつの間にか写真を撮り、リアルタイムでフェイスブックにわが家の惨状をアップしている。すぐに、東海岸の大学に行っている長女からも「大変なことになったねー! 私もその場にいたかったな?」と能天気なコメントが入った。まるで宴会のような賑わいだ。
夫は張本人だけあってか、さすがに神妙な顔で作業していたが、子どもたちがほがらかに振る舞ってくれたおかげで、雰囲気が険悪にならずに済んだ。これが私と夫だけだったら、どうなっていただろうか。
数日がかりだったが、最終的にはほとんどそれと分からないくらいにきれいになった。みんなの協力のおかげだ。それにしても、私の苛立ちとは反対に、子どもたちはなぜこんなに明るく前向きに行動したのだろう? 
後からつらつら考えるに、このときの子どもたちのいちばんの危機は、室内がペンキにまみれたことではなく、母親が今にも爆発しそうになったことだったのかもしれない。それで子どもたちは、母の怒りの爆発を阻止することに全力投球したのだろう。互いに相談し合うまでもなく、これまでの経験から、この状況をいちばん丸く収めるためには、母の機嫌を取ることだとすぐに悟ったに違いない。
あっぱれと言えばあっぱれだが、トホホな話でもある。子どもにこんなに気を遣わせてしまうなんて、親として情けない。母の機嫌が家庭内の雰囲気を左右する……。少なくともわが家に関しては、これは厳然たる事実のようだ。分かっているからこそ、自分でももっと気をつけたい。
私次第で家族がいつもハッピーでいられるなら、それほど素敵なことはないのだから。

「カーペットにしみのある家で愛し合うのは、ピカピカのきれいな家で憎み合うのにまさる」中村家の箴言。