ミルトスの木かげで 第21回 教会に「安全ではない人」がいたら?(後編)

中村佐知
米国シカゴ在住。心理学博士。翻訳家。単立パークビュー教会員。訳書に『ヤベツの祈り』(いのちのことば社)『境界線』(地引網出版)『ゲノムと聖書』(NTT出版)『心の刷新を求めて』(あめんどう)ほか。

前回、牧会で「安全ではない人」に対応するにあたっての最終的なゴールは、歪んで形成されてしまったその人の霊が、キリストのかたちに再形成されるのを助けることと考えるのがよいのではないか、とお話ししました。
ただし、本人には自覚がなく、そのように助けてほしいとも思っていない場合が多いでしょうから、決して簡単なことではないと思います。それでも、それが究極のゴールだと肝に銘じておくことは、このプロセスを進める上で、有益だろうと思うのです。自分が迷惑を被らないため、自分を守るために境界線を引こうとしていると思うと、自己本位のようで気が引けますが、相手のために行っていると確信しているなら、状況が厳しくなっても、主にあって固く立ち続けることができるのではないかと思うからです。
そして、相手の益を心の底から求め、その人がキリストに似た者へと変えられていき、まことのいのちを得ることを心の底から願うなら、たとえ相手に一時的に憎まれるとしても、主から示されていることを愛と恵みと真理をもって行い続けることができるのではないか、と思うのです。

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境界線を夫婦関係に適用させる『二人がひとつとなるために ―夫婦をつなぐ境界線』(あめんどう)という本が最近、出版されましたが、そこに境界線に抵抗する配偶者への対応についての章があります。章の後半には、人格的に問題があって、境界線に抵抗する人が出てきます。夫婦に関することですが、牧師と信徒とのケースにも応用できるかもしれません。概略を述べますと、 まず自分が、「安全な人たち」との交わりの中に根ざす。
 自分の側にもあるかもしれない問題を見極め、その問題に対しては自分のこととして、責任をもって取り扱う。 相手との間で問題になっている、具体的な事柄をつきとめる。
 相手の立場に立ち、相手の視点も尊重する。
 問題だとこちらが思うことを、率直に、誠実に伝え、相手が自主的に改善してくれることを求める。
 時間を与え、忍耐をもって待つ。
 それでも何の変化もない場合、適切な「結果」を設ける。(相手が何らかの違反行為、問題行動をとるなら、その結果として何が起こるのかを、相手に分かるように設定する)
 その「結果」は、相手が行動を改めない場合、本当に実行に移されるものであることを警告する。
 相手が行動を改めない場合、設定した「結果」を実行に移し、最後まで貫き通す。
 時間をかけて経過を見守る。

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『境界線』(地引網出版)の著者である臨床心理学者ヘンリー・クラウドとジョン・タウンゼントは、結果を行使する場合、相手をパートナーだと思ってはいけない、敵だと思いなさい、と言っています。「敵」と思えというのは、相手が喜んで協力してくれることを期待するのでなく、むしろ、抵抗し攻撃してくることを覚悟しなさいという意味です。しかしイエスは、あなたの敵を愛しなさいとおっしゃいました。こういう難しい状況で境界線を引こうとするときほど、「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい」(ルカの福音書6・27)というイエスのことばに励まされることはないように感じます。
そしてもう一つ、心に留めておいていただきたいことがあります。それは、どんなにこちらが愛をもって相手のためを思って努力しても、それを受け入れない人、応答しない人がいるのも、残念ながら現実だということです。
その場合、相手はこちらをさんざん傷つけ、貶めるようなことを言ったあげく、去っていくかもしれません。場合によっては、ほかの教会員の何人かを連れて、去っていくかもしれません。でもそれは、相手の問題なのです。
先生が、主の前に正しい良心と誠実な心をもって最善を尽くされたことは、誰よりも主がご存知です。また、先生を支えてくれる「安全な人たち」も、それを分かってくれるでしょう。もしそうなったらつらいと思いますが、主と、主にある安全な人たちとの交わりの中で、慰めをいただいてください。主は、先生のなさることに報いてくださると信じます。クラウドとタウンゼント両博士は、パーソナリティー障害について、「専門家は、こういう人たちはあまり改善しないと考えています。(ただし、著者はそれに同意しません。当初は抵抗しても、後に多くの改善があったケースを多数見てきました)」と述べています。
主が先生を守り、支え、先生がなさろうとしておられることを導いてくださるように、心からお祈りいたします。