ミルトスの木かげで 第6回 デイブ・ドラベッキー
中村佐知
米国シカゴ在住。心理学博士。翻訳家。単立パークビュー教会員。訳書に『ヤベツの祈り』(いのちのことば社)『境界線』(地引網出版)『ゲノムと聖書』(NTT出版)『心の刷新を求めて』(あめんどう)ほか。
先日教会に、デイブ・ドラベッキーという一九八〇年代に米大リーグのサンディエゴ・パドレスやサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍した元投手が来た。
彼はプロ野球選手としてのキャリアが最高潮にあった一九八八年、利き腕である左腕ががんに冒された。三角筋の半分を除去し、奇蹟が起こらないかぎり再びボールを投げることは不可能と医師に言われながらも、翌年復帰してチームを勝利に導いた。その勝利戦のあと、数百人の記者団を前に会見。ドラベッキーは何よりもまず、自分の復帰は神の奇蹟の業以外の何ものでもないことを宣言し、公然と主を誉めたたえた。
ところがその五日後、復帰後第二戦目の試合中に思いがけないことが起こった。六回裏、球を投げた瞬間に、彼の左腕が折れたのだ。骨折の音はスタンドまで聞こえたという。ドラベッキーは衆人環視の中、マウンドに倒れこんだ。奇蹟の復帰を遂げたと思ったのもつかの間、がんの再発によってそのまま引退になった。数度にわたる手術と放射線治療を試みたものの、彼の腕はもはやどうにもならないところまで病が進行しており、結局左肩からの切断となった。
引退会見に集まった記者たちは、最初はみな沈黙していた。しかし、ついに一人の記者が沈黙を破った。
「それで、デイブ、あなたの神はどこへ行ったのですか?」
ドラベッキーは、自分の胸を指してこう答えた。「私の神は、どこへも行っていません。今もここにおられます」彼は内心、「その質問をしてくれてありがとう!」と思ったのだそうだ。そして、彼の神への信頼は揺らいでいないことを、はっきりと語った。翌日のサンフランシスコの新聞の一面にはその会見が大々的に取り上げられ、そこではドラベッキーがヨブになぞらえられていた。
* * *
しかしながら、彼の戦いは引退してからが本番だった。投手だった彼が失ったのは腕だけでなく、アイデンティティーも失われた。妻に対してことばの暴力をふるうようになり、夫婦仲は悪化の一途をたどった。そして、答えの見つからない問い、出口の見えないトンネルの中で、夫婦そろってうつになった。
絶望の中で身動きが取れなくなっていたとき、二人は知人の紹介でジョン・タウンゼント博士(『境界線』〔地引網出版〕の共著者である臨床心理学者)のもとでカウンセリングを受けるようになった。一年半にわたるカウンセリングと抗うつ剤の投与、そして周囲の人たちの熱い祈りと支援によって、二人は徐々に立ち直っていった。うつになってから五年以上が経っていた。
今、ドラベッキー夫妻は、様々な苦しみの中にある人たちを励まし支えるための非営利団体「エンデュアランス」(http://www.endurance.org/)を設立し、支援グループを運営している人たちの支援や、資料の提供、そして全国で講演活動などをしている。
……と書くと、いかにも「めでたし、めでたし」だが、ここに至るまでの痛みや苦しみはどれほどだったろうかと思うと、想像するだけで身が震える。
特に、 神の癒しの御業を公に誉めたたえ、すべてのご栄光を主に帰した直後のがんの再発。ドラベッキーはどんな思いだったことか。いっそ、最初に発病した時点で、そのまま引退になっていたほうがましだったとは思わなかっただろうか。堂々と主を証しした直後に、まるでサタンがあざけるかのように、皆の見ている前でその「証」が引き抜かれ、打ち砕かれたのだから。
しかし、神のご計画は肉体の癒しよりも、キャリア復帰よりも大きかった。良い働きをしているキリスト者のスポーツ選手が大勢いる中で、なぜ神はドラベッキーをこのような形で用いることにしたのか。私にはわからない。ただ、私は最近よく思うのだ。一般に考えられている「理想像」とかいうものは、私たちの願望を反映しているに過ぎないのだろうと。神に召された生き方とは、傍目から見ていかにも「理想的」な人生だとは限らない。ホセアは姦淫の女を妻にした。エゼキエルの妻は一撃で取り去られた。彼らは預言者だから別格かもしれないが、それでも、人の目にはいかにも悲惨な人生であっても、悲惨な人生だからこそ、私たちが主とともにそれを生き抜くとき、そこに現される主のご栄光と御業があるのだと思う。
ドラベッキーがアイデンティティー喪失と夫婦関係の危機とうつの中にあったとき、それはどう見ても美しい光景ではなかっただろう。でも、ドラベッキー自身が証ししたように、主は彼らとともにおられた。「私の神は、どこへも行っていません。今もここにおられます」