一粒のたねから 第11回 親であるというかなしさ

坂岡隆司
社会福祉士。精神保健福祉士。インマヌエル京都伏見教会員。

調子を崩してしまった息子さんを、初めて緊急入院させたというお母さん(Aさん)から話を聞きました。
今年三十歳になるその息子さんは、中学生の頃、不登校になり、高校は通信制で何とか卒業したものの、やがて心の病気にかかってしまいました。穏やかでまじめな性格の彼は、いくつかの理解ある職場を見つけて頑張ってきたのですが、それもなかなかうまくいかず、最近は電気店を経営する父親を手伝っていたそうです。
ところが何があったのか、彼は突然調子を崩してしまいました。時々死にたいと口走るようになり、自分で自分を制御できないことに怯えているようだったと言います。そしてある晩、とうとう家から飛び出して、どこか行きそうになったので、Aさんは、すぐに病院に連絡しました。受話器を置いたとき、息子さんがボソッと「行こう、病院」と言ったそうです。
父親の運転する車の後部座席に母親と一緒に座り、彼は黙って病院へ向かいました。母親に手を握られた息子さんは、暗い窓の外を見ながらひとこと「くそ!」と言って、ガラスをこぶしできつく叩いたそうです。
しばらくは面会謝絶だけど、これで少し落ち着いて、またゆっくり回復していってくれたら、とAさんは涙をぬぐいながら話されました。
遠くの土地で入院生活を送る息子さんを、十数年ぶりに連れて帰って来たというあるお父さん(Bさん)の話です。
大学一年で発症した息子さんは、家庭内暴力をくり返すなど様々な経過を経て、二十代の終わりに親元を出て行きました。ある程度、物理的な距離をとったほうがお互いのためにも良いだろうというご両親の判断もあったようです。移り住んだ町の空気や仲間たちにもうまく馴染めたようで、彼の最初の数年は、それなりに落ち着いた充実したものでした。けれども、かれこれ四十歳になるここ数年の調子は思わしくなく、長期の入院を余儀なくされていました。
Bさんは悩んでおられました。自分たちは、息子を見放してきたのではないか、という自責の念です。迷いに迷った末、Bさんは息子さんを連れて帰ることにしました。妄想に苦しんでいる息子さんを、だましだまし飛行機に乗せ、地元の病院へ直行したそうです。「息子は、まだ閉鎖病棟で拘束されることがあるんです。本当にこれで良かったのか。積み重ねてきた親としての判断は間違っていたのではないか。それが息子を不幸にしたのではないか」
そう言いながら、Bさんは長いため息をつきました。
退院する娘さんを、病院まで迎えに行かれたというCさん夫妻。親子ともども、どんなにこの日を待ちわびていたことでしょうか。両親に付き添われて、娘さんは病院の玄関を出ようとしました。ところが、敷居をまたごうとする足が宙に浮いたまま、なかなか前に進みません。
ためらうように出たり入ったりするその足が、病院の敷居の先に着地するのを、Cさんご夫妻は祈るようにして見ていたとのことでした。

*    *    *

それにしても、いったい親というのは、こんなにもかなしいものかと思います。親たち自身も重い荷を負いながら、それでも息子、娘のことが常に頭から離れません。何をしたらよいのか、してはいけないのか。あれは良かったのか悪かったのか。悶々としながら、時には自らを激しく責めるのです。それでも答えはありません。
「かなしい」とは「愛しい」とも書くそうですが、愛する者がこうした苦しみの中にいる時、そして、その前に無力なままでいるしかない時、私たちはこれをどう理解したらよいのでしょうか。
昔、娘がまだ幼稚園に通っていた頃、夜中に目を覚まして、私の寝室にやって来たことがありました。「お父さんとお母さんがいなくなってしまうような気がする」
そう言って泣きじゃくる娘の小さな体を抱きしめながら、私は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、まるで自分に言い聞かせるようにくり返していました。不思議な寂しさとともに。柔らかな頬のぬくもり。甘酸っぱい髪の匂い。娘は間違いなく今私のこの腕の中にいる。にもかかわらず、娘と私の間には超えることのできない隔たりがあるのです。根拠のない「だいじょうぶ」をくり返しながら、私はただ娘を抱きしめるしかありませんでした。
あの時娘もまた、たとえ親が親であったとしても、娘自身の人生に対してはほとんど力のない存在であることを、すでに知っていたのかもしれません。「神様……」と、天を仰ぐしかない私。それでも、親は親なのです。