三浦光世を語る 日記をベースに
『青春の傷痕』こぼれ話

熊田 和子
編集ライター

 「ほぅー、三浦光世って、こんな人だったのか」「あの人に、こんな面があったのね」

 本書を一読した人は、少なからずこう思うのではないでしょうか。三浦光世さんといえば、妻であり作家である三浦綾子を生涯かけて献身的に支えてきた人、誠実で優しくて信仰深くて、絵に描いたような理想的なクリスチャン。そんなイメージを描いている方が大半と言っても過言ではありません。綾子さんも著書の中で褒めちぎっていますし、実際、お会いするたびにいつも変わらぬ温かさと心配りには感動すらおぼえます。

 しかし、心にも体にも傷を負って過ごした少年時代は、かなり屈折した性格であったことがうかがえます。それが、同級生へのいたずらだったり、再会した母親を足げりにする行為だったり、人とうまく話せなかったり、現れ方はさまざまであったようです。

 本書には、三歳で父を失った後の母との別離、北海道入植農家での貧しい生活、旧制中学に進学できなかった悲しみ、病に苦しんだ青春時代と信仰への道程などが、幼い頃から習慣だった日記をベースに淡々と書き綴られています。

 また、軍国青年で、ニュース映画に登場する昭和天皇の姿に涙したり、病気療養で欠勤しながらも家を抜け出して将棋を指しに行ったり、若い女性の同僚に褒められて喜ぶ光世さん等々、綾子さんに出会う前の「フツーの青年」だった頃の光世さんをかいま見ることもできます。

 光世さんの幼少時代については、これまでにご自身も断片的に書き、綾子さんも随所に書いていますが、ここまで細かくとおして書かれているものは今回が初めてです。

 巻末のあとがきに光世さんは、「生来愚図な私は、(〆切の)期限をとうに過ぎて、ようやく送稿したのは今年(二〇〇六年)の五月であった」と書いています。本書にも幾度もご自身のことを愚図だ愚図だと書いておられますが、それは慎重さの裏返しであって、決して愚図ゆえではありません。正式な原稿依頼をしてから二年あまり経っていますが、その間、光世さんは三回も全篇を書き直し、こちらの願いを聞き入れて加筆もしてくださったのですから。

 さらには八十歳を過ぎてなお、全国各地からの講演依頼に応じ、台湾や韓国にも再三足を運び、三浦綾子記念文学館館長の重責も担っておられます。旭川の自宅では執筆やさまざまな取材への対応に追われ、その中でもていねいに手紙の返事を書き、来客に時間を割き……。このような中で、書き下ろしの自伝を執筆してくださったことにただただ驚き、感謝しています。

 そもそも本書の企画は、ご本人から長年にわたりお聞きしていた、少年時代やご家族のお話が発端となっています。味わい深い語り口調や、すばらしい歌唱をお届けできないのは残念ですが、穏やかな筆運びの行間から、当時の情景が伝わってくることでしょう。

 こうして一冊になった今、光世さんの出生地・目黒不動界隈探訪や、少年時代を過ごされた北海道・滝上をご案内いただいた日のことを、しみじみと思い起こしています。