世界一弱いお父さんからのメッセージ 突然にやってきた病気
突然にやってきた病気
ところが一九九七年の夏ごろから、西村さんは自分の身体に微妙な変化が起きていることに気が付く。指先に力が入らず、缶ジュースが開けられない。つまずいたわけでもないのに階段から転げ落ちる。いくつもの病院をめぐり歩いた結果、その年の暮れになってようやく下った診断は、原因も有効な治療法もない進行性の難病のひとつ、「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」。統計によると、余命は五年だという。「発病してすぐに仕事を辞めました。まだ体は動いていましたが、気持ちは自分の病気、体のことでいっぱいで、仕事ができる状態ではありませんでした」
「突然にやってきた病気。それは通常の区切りよりも、『断絶』というほうが適切な表現かもしれません。それほど厳しいものを人に迫ります」
「当時の私の状況は、日常生活はなんとか自立していました。車を運転して買い物に行き、話もまったく支障がありませんでした。一見したところ、健康そのものでした。よく笑い、明るく過ごしていました。でも、でも、心の中はズタズタに引き裂かれていました。(中略)心と肉体のギャップ。バランスを失った気持ちは揺れ動き、限界を越えて張りつめた糸は切れて、涙になりました」
自宅療養を始めた西村さんは、淡々と日常生活を送りながら、母校・関西学院大学の大学院で「死生学」を学ぶようになる。
「大学には『なぜ死ぬの』『人生に意味はあるの』という問いに、市民権が与えられています。特に私の出ている『死生学』の問題意識は、私のそれとオーバーラップしています。ここでは、死と生をめぐる、あらゆることがらが議論されます。私は自分の内なる問いを外に解放する場所として、大学を選びました」
6年前にALSと告知された西村さん。 診断は余命5年とのことだった。 |
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時間と共に病気は容赦なく確実に進行し、やがて「歩く・話す・食べる」など、日常生活すべてに困難を覚えるようになった。介護の仕事をしていた自分が介護を受ける立場になり、人の手を借りないと生きられないというジレンマの中、西村さんは少しずつ病気という状況の中にある「神の愛」を実感するようになったという。
「病気を受容できているわけもなく、人生を悟ったり、あきらめたわけもなく、信仰心があついわけでもありません。泣いて、叫んで、おびえて。〈祈りが足りない〉〈修行不足〉そのとおりです。おびえる自分が情けなく感じます。決して止まらない振り子のように、私はきっと二つの極を行ったり来たりしながら生きていくと思います。ただ一つだけの確信。その中心にイエスがいて、切れることのない糸で結ばれている確信。私は投げ出されることはありません。闇の中にも、自分の中にも」