中国クリスチャン事情
~今、信仰を求める人々 育った町、見てきた世界
Y君とJさんの話
「福建省はクリスチャンが多い土地です。教会が建てられるときから両親は手伝っていて、親のいうことを聞いて毎週礼拝するのは当たり前という感じでした」
そう語るのは、二〇〇五年に留学生として来日した大学四年生のY君。八十年代生まれの彼は、母方の祖母がクリスチャンで、クリスチャンホームに育ったという。兄と姉の三人兄弟。「末っ子だったからかわいがってもらった気がします。一人っ子政策ですから、私罰金されましたよ。拾ってきた子ってよく言われた」と笑う。
彼が通う東京国際基督教会に近年やって来る中国人の半数は、福建省や福清市のクリスチャンだという。宗教は禁止というイメージの強い中国に、三世代にわたるクリスチャンがいるのは少し驚きだ。
「私は順調で、とくにいじめとかもなかったです。田舎だったし。なんか場所によって、人によってなんですけど……。たとえば、学生会で教えるとかやっていたらだめかもしれません。中国は、十八歳以下の子どもに宗教を教えちゃいけないという法律があるので。でも、私全然そういうの知らなかった。普通に小さいころから教会へ行ってたし、他の子もいたし
通っていたのは、政府管理下にあるプロテスタント教会で、いわゆる三自教会。日本語では「三自愛教会」と呼ばれ、対するのが「地下教会」だ。彼の教会では当時、十八歳未満で洗礼を受ける子もいたというから、黙認だったようだ。礼拝は朝早く、八時か八時半ぐらいから。「黒板に牧師が歌詞を書いて、賛美から教えないといけないんです。一冊ずつの賛美歌はないので。聖書のメッセージが一時間ぐらいで、全部で二時間ぐらいかな。友だちと時間を計算してゲーセンに行ったこともあります。悪ふざけで(笑)」
中学生のころに信仰をもったが、高校生になって次第に教会へ行かなくなった。行っても月に一回。だが、日本留学をきっかけに現在の教会へ通うようになると聖書の学びや、教会の働きに驚かされることになる。「向こうでは、教会に妥協もあるのかな。あと自分が感じたのは、・勘で信じている・というか……。信じよう、信じよう、ばかりだった気がします。五年前の話ですけどね。田舎でお年寄りばかりなので、病気をきっかけに伝道したり、信じる人が多いです。そういう神様が治してくれたという経験で信じるから、聖書を理解しているのかなって。うちのお母さんもそうだけど、字が読めないんです。小学校と中学校一、二年ぐらいしか行ってない。だって田舎ですから」
彼自身も、「ちっちゃいころから自分の聖書をもっていたけど、全然触らなかった。日本にきて二年目に、初めて一回読みました」という。日本の教会や大学で聖書を学ぶようになり、自分の信じているものが明確にわかるようになっていった。二〇〇五年、日本で洗礼を受けた。では、中国でクリスチャンが増えているのはなぜだろう。「みんな伝道がんばっています。神様働いているのを感じますね。都市部はわかりませんが、西のほうは、田舎はすごく発展してるかな。たとえば、誰かが病気になったら、『ぶどう隊』という教会のグループがお見舞いに行っていました。祈りましょうって。よく祈っていると思います。家でも毎晩必ず八時、九時に家族で祈りました。賛美もそこで覚えた気がします」
日本から地元を振り返ったときに、Y君は次世代が心配だという。「自分が何を信じているか、学ばなければならないと思う。しっかりした信仰の根を今のうちに張りたいです」
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来日十年になるJさんは、また違う中国の姿を語ってくれた。「福建省とか、クリスチャンが多い土地が中国にあるということも日本に来てから知りました。ダメだって思っていたので。知らなかった。本当に知らなかった……」彼女の出身は青島。姉と二人姉妹で、中国北部の都市部で育った。「下関と姉妹都市なんですよ。小さいころから日本のお客さんがきていました。洗礼を受けたのはこの教会です。両親もクリスチャンではないし、キリスト教の知識もありませんでした。中国には侵略された歴史があって、青島もドイツの植民地でした。兵士と伝道者が一緒に入ったのでキリスト教は侵略者の宗教。私は映画とかを見て憧れをもっていましたが、その当時はキリスト教全体が良くないイメージをもたれていたように感じます」
そして一九六六~七六年に起こった、あらゆる宗教が弾圧を受け、排除され、建物が壊された「文化大革命」。Jさん自身は体験していないが、両親を通してそのことを知っている。それがキリスト教をすべて消し去った。そんな都市で育った。
彼女に転機が訪れたのは、日本に来てから。大学時代の恩師が来日しているということを知り、連絡をとって会ったところ、その教員はインターネットを通じて中国国内でキリスト教を信じ、日本で洗礼を受けていたのだ。
「でもあの頃は、大学ではクリスチャンだと言えなかったようです。公務員が信仰を公にすることに、何か困難があったのかもしれません。こっそり洗礼を受けて帰ったそうです。今は少し変わってきているようですが……」
彼女に教会に誘われたJさんは、以前から興味があったこと、また幼いころから「なぜ人は生きていかなければならないのか、生まれなかったほうがよかったかもしれない」と思っていたこともあり、初めて足を運ぶ。思っていたのとは、「違いましたね(笑)」
一年ほど経って、洗礼を受けたのは、「その瞬間に、自分も周りの環境も変わったらいいなと思ったから」。だが、何も変わらない。そして、教会へ行かなくなる。
けれど二、三年ほど経ったある日の午後、聖書を読んでいたらふいに涙が止まらなくなった。教会行かなきゃ、もう離れない、そう決心して次の週に教会へ行くと、あのときの恩師がそこにいた。「『あー、やっときました。ずっと祈っていました』と言われて。信じませんでした。でも、私来ました。それがきっかけですね。たぶん信仰って時間がかかるんだなって思う」
日本国内で信仰をもったJさんは、中国国内でクリスチャンだと公言することについてこう語る。「クリスチャンであることでどんな目にあうのか、あわないのか、わかりません。実際はそういうことないかもしれないけど、私たちはそういう時代に育てられてるから。漠然とした不安はあります」
今、中国では国外で思われているよりもさまざまな面で自由にものを言える世代が育っているように思う、という。特に八十年代以降に生まれの人たちだ。「ただ、私たちの心の中には・線・があるんですよね。これ以上はやりすぎないように、と……」
そんな彼女は、「中国でクリスチャンが増えた」と地元の友人から聞いても信じられなかったという。だが、二年前に青島に帰ったときに母親と近所の教会を探した際、早朝から五十人ぐらいの人が教会の前に列をなして待っているのを見て、それを実感した。「なぜ増えてるのか全然わかりません。本当に。教えてほしい!(笑)」
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二人が語ってくれた全く異なる中国の姿。東西南北、都市部と農村、世代によっても違う。公安局による盗聴や拘束もある一方、何世代にわたるクリスチャンもいる。
今中国では、弾圧の緩和により、何かを信じることに真空となっていたところへキリスト教という風が吹き込んでいるという。信仰のためにいのちをかけて闘った人々の祈りが実を結びつつある。。そう思うのは早計だろうか。
※写真キャプション=留学の時に、Y君が父親から贈られた愛用の聖書