人生の苦労と教会 インタビュー 向谷地生良さん(1)
- 初めて教会に行かれたのはいつですか?
中学二年生の時です。青森の十和田市にある日本基督教団三本木教会に、母親が行き始め、特別伝道集会か何かの時に誘われて行きました。
初めてキリスト教に触れたのは、中学一年生の時です。中学校の校門に宣教師が立ってパンフレットを配っていました。その時に声をかけられたことを覚えています。キリスト教徒に出会い、キリスト教の教えに触れた最初です。その宣教師さんがどこの人なのか全然わかりませんけど、その出会いは不思議に鮮明に覚えていますよね。
印象深かったんですか?
印象深かった……。なぜちゃんと覚えているかというと、『「べてるの家」から吹く風』にも書きましたが中学一年生の時は、とにかく苦労の真っ最中だったものですからね。
苦労の真っ最中?
日本では、中学に入ると学生服になり、丸坊主という規則ずくめの教育になっていく。まずそれに対して自分の中である種の違和感をもっていました。また担任の先生と行き違いがあって……。「向谷地は生意気」という理不尽な理由で、日常的に体罰を受けていたのですね。すごかったですよ。先生は結果的にそのことで書類送検されて。後で聞いたらそれで辞めたって噂を聞きました。
私は、苦しい学校生活にも関わらず、ほとんどそれを親に愚痴としてこぼしたことがありませんでした。
なぜですか?
なぜでしょうね。ただ単純に、この問題を「困った、どうしよう」と、人にひき渡すんじゃなくて、自分の中で一生懸命に吟味してたような気がします。けっして個人的に運が悪いとか、先生と不幸な巡り合わせをしたと感じていたのではなく、世界の苦悩のただ中に、自分が放り込まれ始めている、人生の扉が少しずつひらかれてきた、という感覚でいたような気がするんですよね。
当時は大学紛争のまっさかりでしたし、ベトナム戦争も泥沼化していた。国内も騒然としていて、世界中で反戦運動がさかんでした。そういう空気と自分の大変さが、ひとつになって、回り始めていた。
そういう時、たまたま校門に宣教師が立っていて、キリストが云々とか語りかけてくる。その中に何が書いてあったかわからないんだけど、このキリスト教のパンフレットに書かれていることばと、自分の苦労に何か不思議なつながりを感じました。それほど鮮明に覚えていますね。
それから、校内暴力とけがが重なって、学校に行くことにドクターストップがかりました。その後、転校して、十和田市に行き、母親に誘われて教会へ、すんなり行ったのは、自分なりに何か求めていたと思いますよ。
そこでイエス・キリストに出会った。
教会に行っていちばん最初に思ったのは、「イエス・キリストはどうしてあんなに苦労したの?」ということなんです。これは今でも私のテーマです。あんな理不尽な目にあった人はいないですよ。語ったことや行動が裏目、裏目に出て、最後は十字架刑ですからね。
しかも一緒に旅した人たちは、あの弟子たちですよね。なんであんな人たちが選ばれて、しかも旅の途中で逃げ出したり裏切られたり。イエスの歩みは、成功体験とはほど遠く、矛盾と、行き詰まりの人生ですよね。しかし、私は逆にその事に関心をかき立てられて「その旅をいっしょに行きたい」と思ったんです。ですから、このイエスと弟子の旅の物語は、その時から続く私のテーマなのです。
今もきっと十二人の弟子たちが私たちの教会の中に招かれたら、教会はきっと「許させない」って言うと思う。そういう意味で十二弟子っていうのは今日の私たちの現実だし、私たちは「十三人目の弟子」としてこの旅を続けているということを信仰生活の中で忘れてはならないことだと思っています。
そのころからソーシャルワーカーという職業に就くことを考えていたのですか。
当時なりたかった職業は、新聞記者か弁護士か教師。ソーシャルワーカーということばすら知らなかったですね。
正義感があったのですか。
職業として何をするというより、社会で起きていることに純粋に腹を立て、どうしてこんなことがと、……熱かったです。私が高校生の時、教会の高校生会は、靖国神社についてみんなで論争してました。充実した教会生活を送っていました。
私が通っていた教会の牧師は、清貧という言葉がそのまま当てはまるような神様中心の生活を送っていました。自分はすり切れた服を着て、生活全体が、神様に捧げられた暮らしでしたね。高校生会のメンバーにとっては、教会がたまり場であり、居心地が良かったです。
大学に入学するために、札幌へ旅立つ日には駅まで見送りに来て、すごい音痴なのに「また会う日まで」と歌ってくれて、すごい恥ずかしくてね。別れのつらさよりも早く電車が出てくれと(笑)。
そして、寮に着くと牧師からの分厚い手紙が届いていて、「がんばれ。君を札幌に送るのは、子羊を狼の中に送るようなものだ。誘惑に負けないでがんばれ」と、書いてありました。