八木重吉に出会う 八木重吉を味わう
遠藤町子
児童書作家
ふるさとの川よ
ふるさとの川よ
よい音をたててながれているだろう
(母上の白い足をひたすこともあるだろう)ふるさとの川
重吉を生んだふる里堺村は、町田市でも最西端の八王子市と神奈川県津久井郡との境界にあり、静かな山あいの集落は、いつ何処に足を踏み入れても、四季折々の花鳥を愛でることができる。中央を流れる境川は、重吉の生家に程近い大地沢のわき水を集めて流れ、その音は彼の詩『ふるさとの川』を思い起こさせる。
私が初めて重吉の詩に出会ったのは中学の終わり近くだった。図書館で手にした『定本八木重吉詩集』は私の心をとらえて離さず、時のたつのを忘れて繰り返し読んだものだ。
たかい丘にのぼれば
内海の水のかげが あおい
わたしのこころは はてしなく くずおれ
かなしくて かなしくて たえられない
詩人の孤独とかなしさが胸に迫ってきて一人涙した。彼の詩はなぜか読み手の心を平安にし、清い心にする。短い洗練されたことばからにじみ出てくるやさしさと聖さ、これはどこからでてくるのだろう。
空のように きれいになれるものなら
はなのように しずかになれるものなら
価なきものとして
これも捨てよう あれも捨てようキリストを信じて
救われるのだとおもい
ほかのことは
何もかも忘れてしまおう(信仰)
重吉の心の滴のように書き連ねられた詩はもしかするとキリスト教と関係があるのかもしれない。ある時わたしはそう確信して教会に行ってみたいと思うようになった。多感な高校時代にまるであこがれるように教会へ行った。しかし私には本当のところキリスト教のことは分からなかった。
静かなことばの中に重吉の熱い思いが感じられるようになったのは自分が本当の福音に触れて救われてからのことだった。
死ぬることをおもえば
死ぬことはひかってみえる
かるげである
ひかりのなかに命あるものがちさくうごくようにおもわれる(不死鳥)
死を目前にして重吉はここまで穏やかに死を見つめていた。結婚して翌年には桃子が生まれ、その翌年には陽二が与えられて家庭生活は恵みに満ちていた。しかしその二年後、結核に倒れ一人療養生活に入ることになる。こんな悲しい詩人を慰めたのはインマヌエルの神であった。彼は療養の間中聖霊の助けを受けて日毎聖書を読んだに違いなかった。
聖書が聖霊を生かすのではない
聖霊が聖書を生かすのだ
まず聖霊を信ぜん
聖書に解しがたきところあらば
まず聖霊に聞かん
聖書のみによる信仰はあやうし
われ今にしてこれをしる おそきかな
(聖霊)
どれほど真剣に聖書を読んだのだろうか。どれほど熱心に聖霊の助けを求めたのであろうか。何のために、何のゆえに、そう思うと若き日とは違う思いに胸が迫ってくる。
重吉の膨大な量の詩は妻登美子と出会った二十三歳の頃から召天する二十九歳までのおよそ六年間に作られたもので、大正末期から昭和の初めにかけての作品である。およそ八十年の歳月を経てなおみずみずしく、新鮮な感動を与えるのはどうしてだろうか。彼の詩が何年経っても色あせないのは彼がたましいの部分に目を向け、祈りによって書き上げたからではないかと思えてならない。