八木重吉に出会う 八木重吉年譜
1989 | 2月9日。東京府南多摩郡堺村相原大戸(現代の東京都町田市相原町)に生まれる。 | |||
1912 | 14歳。神奈川県立鎌倉師範学校予科1年に入学 | |||
1917 | 19歳。鎌倉師範の本科第一部を卒業し、東京高等師範学校文科第3部英語科に入学 | |||
1919 | 21歳。駒込基督會で富永徳磨牧師から洗礼を受ける。スペイン風にかかり肺炎を併発。 | |||
1920 | 22歳。3ヶ月の入院生活ののち退院、堺村の自宅へ帰って療養する。4月、本科3年に進級、池袋で下宿生活を始める。 | |||
1921 | 23歳。島田とみに会う。東京高等師範を卒業し、兵庫県立御影師範学校英語科教師として任地に赴く。陸軍の6週間現役兵として姫路市の歩兵題39?隊に入営する。この頃多数の短歌を作る。それとともに詩も書くようになる。 | |||
1922 | 24歳。内藤卯三郎の仲立ちで島田とみと婚約。7月に結婚。御影町石屋川の借家で新しい生活始まる。詩作が増える。 | |||
1923 | 25歳。御影町柳の借家に移る。手製の小詩集を多くつくる。長女桃子誕生。 | |||
1924 | 26歳。第1詩集『秋の瞳』を編み、原稿を加藤武雄のもとに送る。長男陽二誕生。 | |||
1925 | 27歳。千葉県東葛飾中学校英語科教師として転任。『秋の瞳』(新潮社)刊行。この頃より草野心平と交友始まる。 | |||
1926 | 28歳。結核と診断され、神奈川県茅ヶ崎町の南湖院に入院。その後茅ヶ崎町十間板に家を借り自宅療養に入る。病床で第2詩集『貧しき信徒』の自選を行う。 | |||
1927 | 29歳。10月26日召天。生地堺村の八木家墓地に葬られる。 |