四十路へのずっこけ恋愛道 教訓6 神様に信頼して、健全な男女関係を。
小さな石鹸カタカタいわせなくても……
松本望美
北朝鮮宣教会所属
「神様は、私のふさわしい夫を与えてくれる!」と信仰に立っているつもりでも、「ええ~この人も御心じゃなかったのか~」という時に、「本当に神様は私に与えてくれるの?」となってしまうことってありません?
私の場合、宣教面に関しては「主がこの道を開かれるのよ!」「祈りで勝負」「みことばの約束に立って!」とイケイケモードでありながら、ことに“恋愛・結婚”になると不信仰になり、同じパターンを繰り返している。
好きな男性には、甘く優しい“ムツゴロウ”な私。好きな人ができると“尽くします~”という演歌の世界に突入。しかし、調子に乗って甘え続ける男性に、突然、見切りをつける。「よしよし」と甘やかしていた私が、ある日、その男性をダンボールに入れて「拾ってあげてください」と捨ててしまうのだから、こりゃあ、ひどくない? この悪いパターンを改善しなくては! と本気で思った。
そして先日、そのパターンの根源が“幼少時代に親に甘えられなかった自分”から来ていることがわかった。仕事に忙しい父と、祖父母の介護に明け暮れる母に対し、幼少時代の私の本心は甘えたかったのだ。だから、それを男性に向け“甘えたい”という願いがあることもわかってきた。しかし、甘えられないとわかると「さようなら~」。本当にひどいわ、私って。悔い改めます。
そんな話をしてみると、いろいろな反応が返ってきた。「“結婚は親探し”だって牧師が言っていた。お互いが気づかないで結婚してしまうと、“もらいたい同士”でうまくいかなくなるって。それに気づいて、神様に癒していただいて、神様と親替えをしていくことが大切なんだって」と教えてくれた友人。
「神様は、望美さんの人生のすべての領域で働いてくれるわけで、最善を知って導いてくださっているわけっすよ! ミッションとか結婚とかの区分けじゃなく、すべての領域っす」と励ましてくれた方もいれば、「あんたを甘えさせられる男性って、顔は福山雅治タイプじゃないね、まちがいなく」(どういうこと?)とか、「これからは恋愛結婚に関しても“祈りで勝負! 勝利! 勝利!”とかって怖いからやめてね」とか「もうさ、演歌の世界は終わり。これからは、健全なフォークでいこう!」という方も。えーと……世代が……。それって“神田川”の世界?