四季の庭から 1 新春
森住 ゆき
日本福音キリスト教会連合 前橋キリスト教会会員
自分自身はそんなことは一度だってしたことがないほどずぼらなのに、新年の第一日にきちんと届けられた年賀状はとてもうれしい。寒い戸外の郵便受けから玄関に戻るほんのわずかの間にも、差出人の名前と、短い消息に目を走らせずにはいられないほどに。
日ごろ無沙汰を重ねている者であるにもかかわらず、あたたかな言葉をかけてくださる方々には、かたじけなさと感謝の思いで一杯だ。賀状の一隅にはどの方も、私と家族の健康と幸せを願い祈って下さることばが添えられている。クリスチャンも、そうでない方々の便りにも。定型の儀礼的な挨拶、かもしれないにしても、人間はやはり祈るものとして造られているのだと思わされる。
葉書の中には、何年も会っていない遠隔地の友人や、すでに顔もおぼろな人々、よほどのことがない限り再会の機会はないかも、と思われる人々もおりほとんどが未信者だ。
それらの方々の「ご多幸を祈ります」ということばを通して、私は主の救いに与った小さな者として、何らかの宿題を示されているように感じる。その方々のために、私個人が直接的にできる事はまずないにしても、与えられた環境の中で、なすべきことをなすように促される思いがする。「知られない神に」祈る人々が、こんなにも多くいることを見る朝に。