四季の庭から 2 施肥
森住 ゆき
日本福音キリスト教会連合 前橋キリスト教会会員
神さまのみこころはずっと後になってわかる、とよく言われる。ということは、ずっと後にならないとわからない、とも言えるのかな。
不測のできごとが起こって、ものごとが思うように進まないと感じるとき。問題がいつまでたっても青あざのように残って解消されないと感じるとき。今起こっているできごとに、どんな意味があるのかがわかりさえすれば、ああ楽ちんなのに、と弱い私は思ってしまう。
でも神さまの目からごらんになれば、それでは試練が試練でなくなり、私のためにはならないのだろう。心の波風が騒ぐ日もあるけれど、深いところで主の最善を信じていよう。……というりっぱな話ではなくって、そうしないと私は希望が非常に持ちづらく、日々のよいものまで虚無的に思えてきてしまうから。
私はもうずいぶん長い間、自分の内面が一向に成長せずに同じような場所をぐるぐるまわってばかりのような気がしている。みことばによって養われることを望み、聖書を読んではいるけれど、どこがどう養われているんだか、と三日に一度はがっくりしている。
それでも信じたいものだ。食事をするときに、この魚は、野菜は、体のどの部位に役立つかなどと考えもしないのに、食の積み重ねによって私の健康が保たれているように、今すぐにわからなくても、ずっと後になって、少しは豊かにされていることを。