四季の庭から 4 幼苗
森住 ゆき
日本福音キリスト教会連合 前橋キリスト教会会員
桜の春がめぐってきた。花吹雪の中を駆けてゆくピカピカのランドセルや、すっきりと襟足を刈り上げた若者の姿もまた、街角の花のようにも見える。
現在礼拝に加えて頂いている教会には小さな幼稚園があり、毎春何人かの子供たちが小学校へ巣立ってゆく。在園中の子供たちは折々に保育者が語る聖書のお話に耳を傾け、やがて主の祈りをそらで唱えるようになり、目には見えなくても神さまがぼくを、わたしを、守っていてくださることを知っている。けれど、小学校へと巣立ってゆく中で、教会につながり続ける子供たちは、小さな幼稚園の、ほんのわずかな卒園生の、そのまた一握りにすぎないのが現実である。
つい最近、常々無宗教を通すといっていた私の叔父が教会に通い始めた。きっかけは治療困難な病で奥さんを亡くされたことからだが、発病から5か月間のカウントダウンのような夫妻の闘病生活の中で、じわじわと神さまへの思いが強まったのだという。「実はさ、俺も家内も子供の時に日曜学校に行ってたことがあったのさ。全く別の場所で、半世紀も昔のことなのに、不思議だなあ」と電話で言っていた。
だから大事なんだ日曜学校は、と主人が言った。そうなのだ。種がまかれた後、どこでどのようにそれが芽吹き、どのように育ってゆくかゆかないか、種蒔く人の多くはそれを見届けられないとしても。