国を愛する心と「愛国心」 「愛国心」ということばの狂気(前半)

崔善愛(Choi Sun-ae)さん
崔善愛 (Choi Sun-ae)
ピアニスト。在日大韓キリスト教会牧師の長女。在日三世。指紋押捺を拒否したことによって、二つの裁判を最高裁まで二十年闘った。

「国」に出会う

 海に囲まれた日本で国境線を目にすることはできないけれども、国際空港に行くと国の玄関を見ることができます。そこにいるとまるで自分に羽がつき、はてしなく自由にどこにでも飛んでゆけそうで、とてもわくわくします。がひとたび自分の国を離れ飛び立ち、ある国に着陸すると、入国するための審査が待っています。何も悪いことをしていないのに、審査に合格するだろうかと不安になります。自由を謳歌するどころか犯罪者かそうでないかをパスポートによって審査されるのです。

 こんな時、できるだけ自分の国が世界中で愛され好感をもたれていることを願ったりします。人柄や人格ではなく、どの国のパスポートを持っているかで私たちは判断されるのです。

 私は日本で生まれ育ったのですが、韓国のパスポートを持ち特別永住者(日本の敗戦時、統治下で日本国籍を持っていたものから国籍を奪いその代わりに強制連行された者とその子孫に自動的に与えられた永住権)として日本に住んでいます。

 父が在日大韓キリスト教会の牧師だったので日曜日には在日のハルモニ(おばさん)たちが、韓国語の賛美歌を歌い、涙しながら祈り救いを求める姿を見て育ちました。祖国を離れ、日本という異郷で受け入れられず社会から孤立する深い悲しみの祈りでした。かたや日本の学校に通い、友達に囲まれ無邪気に遊ぶ幼い私に、彼女たちの悲しみを理解することは困難でした。

 ところが21歳で指紋押捺を拒否して以来20年、ふたつの裁判を最高裁まで闘い国と向かい合う過程で、予想をはるかに超えた国家権力というものに出会いました。それは国に逆らう者を徹底的追いつめ排除する非情なものでした。そして指紋押捺拒否の裁判が昭和天皇の死去による恩赦になったとき、国家と一体化している天皇制と出会いました。私はそれまで国と闘っていると思っていたのですが、実は天皇制と闘っていたのだと分かったのです。

押し迫る日本の闇

 私には地元の公立小学校に通っている小学校二年生と五年生の娘が二人います。五年前長女の小学校の入学式に行った日、私は体育館の壇上いっぱいに張られている日の丸に圧倒され、入学の喜びは不安へと変わりました。

 「一同起立、礼」という号令と同時に、壇上の日の丸に礼をさせます。「国歌斉唱」という司会者の力強い声の後、君が代が流れてきました。目が覚めるような想いでした。このように軍隊の入団式のような入学式は始まりました。私は何か叫ぶわけでもなく、無防備に黙ってすべてを眺めることしかできませんでした。三年後の下の娘の入学式の日も、娘の入学の喜びよりも、君が代斉唱のとき着席するんだということで頭が一杯でした。そして皆が立って歌っているときに座っていることの気まずさを夫と共に耐えました。

 「一同、起立、礼」という号令によって卒業式、入学式では壇上の日の丸に向かって礼をさせます。これはとても日本の国家をあらわす象徴的な行為であるように思います。旗に向かってお辞儀させるという公立の幼稚園から始まるこの儀式は何を意味しているのでしょうか。誰もいない壇上の旗に向かって礼をすることを不思議に思うことも許されず、こどもは日の丸という日本にお辞儀して、そこから何かを体で覚えてゆくのです。

 1999年指紋押捺制度が全廃された同じ国会で国旗国歌が法制化されました。私はとんでもない時代が再び近づいていることを感じました。ようやく指紋押捺がなくなったと息つく暇もなく、それと入れ替わるように日の丸と君が代の恐怖が始まったのです。君が代を歌えない、歌うべきでない、と考えている教師たちが、いま全国各地で処分されています。

信仰告白として

 一昨年から私は日本中に少なからずこの国旗国歌の強制に反対し立ち向かっている先生とお会いすることができました。その一人が公立小学校の音楽専科の佐藤美和子さんでした。

 彼女が君が代を弾けないのは、日本が過去に犯した過ちをくりかえさないという彼女の決意によるものであり、そしてそれは彼女の信仰告白でもあると私は感じました。いつもやわらかい声でどんな人にもやさしく語りかけ、また人の話しを真摯に聞いてうなずく彼女が、いま君が代を弾かないという理由でさまざまな精神的な抑圧を受けています。

 私はとにかくその小学校の卒業式に出かけました。何もできないけれども、佐藤さん一人矢面に立たせたくない、せめて彼女の辛さを私も共有しようと思いました。彼女が一生懸命、音楽の喜びを伝えたこどもたちの晴れの卒業式で、その式に水をさすように君が代を弾かず、ひとり着席するということがどんなに辛いことか、そう思うと本当に胸が痛みます。

 その日一日彼女はとても気丈に振る舞っていましたが、心の中は泣きたい、逃げたい思いで一杯だったにちがいありません。

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