天国に行く前に寄っていきたい (後半)

突然変わった夫

 俣木さん夫婦が、夫婦そろって洗礼を受けたのは1981年のこと。

 当時、泰三さんは毎晩遊びほうけ、帰ってくるのはいつも午前様だった。聖子さんが長女を出産した時も、病院に駆けつけて来たのは深夜で、それも酔っぱらっていて仕方なくといった感じ。一緒に住んでいても、会うのは一日一回、「おはよう」と「いってらっしゃい」を同時に言う生活だった。

 「もう別れよう。(こんな生活は)夫婦なんてもんと違う。下宿のおばちゃんやってられん」「あほか。これが夫婦や。下宿のおばはんやったら、とっくに俺のほうから出ていってる」。こんな会話がされていた。

 妹の勧めで、聖子さんが教会に通い始め、三年あまりが経ったころ、「夫に従う」というそれまでの決心にも限界が近づいていた。忍耐して従っていても夫は変わらないと、木枯らしの吹くころ、こたつの中で泣き疲れて寝ていた。

 「その夜は、神様への信仰を捨てようと思っていました。でも、それはすごく寂しいことです。信仰を捨てたら、どこに行ったらいいのか分からない。暗闇の絶望があるだけでした」。聖子さんは当時をそう振り返る。

 しかし、事態は突然変わった。その日、やはり深夜に帰宅した泰三さんが、突然、両手をついて「悪かった。君は教会へ行ってから変わった。俺も変わりたい。快楽のあとのむなしさを知り尽くした。教会へ行く」と言ったのだった。

 「この人、一夜のうちにころっと変わったの」

 「それも不思議だねー。毎日、たばこも二箱半すっていて、ウイスキーのボトルも仕事のつきあいと言いながら、一本あけていた。二日酔いになりながら仕事もしていたのに、イエス様を信じてから、全部やらんくなって、ほんとありがたいわー。ここ(聖子さん)が、三年かかってやっていたことを私は一日で、乗り越えてしまったんですわ」

 「それまでの三年間の私の努力は何だったの」

 「やっぱ、この人には忍耐が必要だったんだね、ハハハ」

 今では、お互いに憎まれ口をたたきながらも、夫婦漫才さながらに、和気あいあいとやっている。

クリスチャンらしさの殻

 実は、今、聖子さんは家族と別居している。同居していた実母と、いつもけんかが絶えないとのことで、近くに部屋を借りて暮らしている。その母親は泰三さんと一緒に暮らしている。著書においても、母親とのやりとりは非常にシビアだ。

 「親を愛さなきゃいけないという思いは、クリスチャンであるなしに関わらずあるけれども、『クリスチャンなのに』愛せないという葛藤はあります。同居して十年くらいは、無理をして従ってきたけれども、母は変わらなかった。最後まで忍耐していたらどうなったのかは分かりませんけれども」

 忍耐の限界が来た。「言い返す強さ」を持とうと決めたのが七年ほど前のことだった。「クリスチャンらしさの殻を蹴飛ばした」。

 母親を「愛している」つもりで行動してきたが、自分に正直になった時、最も近い肉親でさえも愛すことができない自分がいた。それが現実だった。

 クリスチャンは、「愛にあふれた人」を繕ってしまうことが少なくない。時に、他人に対してだけではなく、自分自身をもだまし、神までも欺く。だが、人は自分が罪人であると認識した時から、変えられていく。そこに十字架の赦しがあり、罪からの解放された喜びがある。そして真に人を愛することができるようになっていくのだろう。

 現実を直視する聖子さんの筆は、罪を持つ自分の気持ちをごまかしたり、美化したりしてはいない。しかし、聖書が約束する天国への希望が、私たちを取り囲む罪にあふれた現実から解放してくれる。「この人はちょっと変えられすぎて、解放されすぎているのも問題ですけどね。ハハハハ」。やっぱり、泰三さんはつっこむ。

 「クリスチャンになると、こうならなければならないと思って教会に来ない方や、クリスチャンでも、がんじがらめになって生きている方々に、こんな楽な生き方もあるんだと伝えたかった」と、聖子さんは言う。

天国への道しるべを

 これからも文章を書いていきたいと聖子さんは願う。泰三さんの応援もある。お年寄りを励ますような「老話」や、自分自身の問題でもある「母と娘」の葛藤についてがテーマになるだろう。

 「深いことを難しく書いたらあかん。私の文章は、近所のおばさんが話しているような感じで、難しくはないけど、まだ浅い。井上ひさしは『文を書くことは考えること』と言っているけど、考えつつ苦しみつつ経験を積んでいきたい」

 聖子さん、泰三さんの歩みはこれからだって前途多難だ。大賞に選ばれたからといって状況が変わったわけではない。彼らの信仰の旅路は、まだまだ苦労があるに違いない。だが、そんなうめきの中から生み出される作品が、神が待つ天国へ、多くの人を導く道標となっていってほしい。

(編集部)