子どもたちに今! 伝えたい
「性といのち」の大切さ… 第1回 子どもたちが危ない!
永原郁子
マナ助産院院長
「娘の中学校……かなり性の無法地帯です。始業前から、給食校舎で性交渉。彼氏の家で、彼氏の友達と性交渉。以前の彼氏を忘れるために同級生と性交渉。普通に、彼氏の部屋で日常茶飯事に性交渉。マンションの踊り場で性交渉、公園で学校帰りに性交渉……」
これはテレビドラマのシナリオではありません。娘を公立中学校に通わせるママからの相談の一文です。今や、中学生や高校生でロストバージンという言葉が日常的に使われ、二十歳前後ともなると、未婚であっても性体験があることを公言してはばからない時代なのです。いや外国のことではありませんよ。日本の若者の現状です。
二〇〇八年に東京都幼小中高心性教育研究会が都内で行った調査では、高校三年生の性体験率は約四十七%となっています。およそ二人に一人は性体験があるということです。そして一度性交渉をしてしまうと、性交渉のハードルはぐーんと低くなってしまいます。特に男子は性の衝動が激しい時期ですから。また、次に付き合う相手との性交渉もさほど抵抗がなくなってきます。中高生でも複数の異性と性交渉を持つ者は少なくありません。したがって中高生の間で性感染症が増えるのも当然ですし、二十歳までの人工妊娠中絶も増加し続けています。なぜ、このような現状になってしまったのでしょうか。それは大人が無責任な間違った性情報を子どもたちに伝えていることがいちばんの原因です。若者のトーク番組やドラマなどを通して、未婚であっても、たとえ学生であっても、性交渉をしても構わないというメッセージをたくさん子どもたちは受けています。子どもたちが手にする漫画を見ても性描写が多いです。またかつての日本では結婚前の妊娠はタブーでしたが、十数年ほど前から芸能人の「できちゃった結婚」が茶飯事になり、瞬く間に一般の人たちにも結婚前の性交渉が認められるようになりました。
にもかかわらず、子どもたちは本来の性交渉の意味や性交渉によって負うリスクなど、本当の意味での性教育を受けていないのです。二〇〇四年に小泉元首相が国会答弁において「行き過ぎた性教育」と発言したことから性教育に歯止めがかかってしまいました。確かに「行き過ぎ」と感じる性教育がないわけではありません。大きな模型のペニスにコンドームをかぶせて実演したり、女性性器を大きくしたタペストリーを使って生殖機能を教えたり、人形を使った性交などは行き過ぎと言わざるを得ないと思います。性の営みをもっとデリケートに扱いつつ、子どもたちに必要な知識を伝えたいのです。子どもたちの性の現状を考えると、性教育に対して決して消極的になっている場合ではありませんが、その方法に知恵を絞る必要があると思います。
現代の子どもたちはもう一つの大きな問題を抱えています。それは「いのちの重みが感じられない」ということです。若者の自殺、リストカット、殺傷事件、いじめが後を絶ちません。なぜこんなにも簡単にいのちを傷つけてしまうのでしょうか。様々な要因が考えられると思うのですが、その一つに生と死を実感できない環境で育っていることが挙げられると思います。昔と違って人の葬りも簡素化されていて、子どもにとって近い関係の方は別として、人の死を悼む場面を見る機会がほとんどなく育ちます。また大人は死後の世界を子どもに語らない時代です。
にもかかわらず、子どもたちは小さな時からゲームの世界で人のいのちをスイッチ一つで操作します。またテレビなどでは暴力シーン、殺害シーンをどれほど見るでしょう。
現代の子どもたちは「性といのち」、二つの大きな問題を抱えていると言えます。
私は年間百箇所以上の講演依頼を受けます。仲間と手分けをして、助産院での仕事の合間をぬって出かけるのですが、「いのちの話をしてください」という依頼もあれば「性の話を」という依頼もあります。どちらにしても話の内容は大きく変わりません。それは性の問題もいのちの問題も根源は同じと考えるからです。それは「自分の存在価値、生きる意味を見出せない」ことが、安易な快楽を求めて性の問題を引き起こすことになるでしょうし、また刹那的な生き方がいのちの重みを感じにくくしているからです。
「あなたのいのちは価値がある。あなたがこの世に生まれてきたのには意味がある。あなたがここにいてくれてうれしい。あなたは大切な一人」
このような大人からの愛のメッセージを子どもたちに伝えることこそが、今求められている性教育です。それはまさに聖書が語るメッセージそのものなのです。