定年後の暮らしに備えがありますか 第1回 定年後の希望にむけて

田口誠弘
熟年いきいき会 代表

著者・田口誠弘氏
42歳の時、社内紛争のあおりを受けて左遷・降格。挫折をきっかけに、社員教育、マネージメントの専門家の道を目指す。
バブル崩壊で大損したことがきっかけで1994年、55歳で受洗。現在、有料老人ホーム・コンサルタント、地域での「無料相談」コンサルタント兼カウンセラー。豊かな熟年ライフをサポートするグループ「熟年いきいき会」を立ち上げ、代表となる。
NPOふれあいアカデミー情報ネットワーク担当理事。
ホーリネス・池の上教会員。67歳。
 二〇〇七年。団塊の世代が定年を迎え始めます。そこには様々な不安がうずまいています。現在、日本での自殺者の数は三万三千とも三万五千とも言われています。およそ六割を占める中高年の自殺はいっこうに減らず、団塊の世代が定年を迎えると、さらに増えるかもしれません。

 気になるのは心の問題です。現代社会はよくも悪くも自由主義と個人主義が進行しています。これは家族やコミュニティの後退でもあり、相談する相手が近くにいなくなっていくことを意味します。気軽に心の問題を相談する相手がいないため、退職後、途方にくれ抑うつ状態になってしまう方も少なくありません。

 急激な高齢化は、高齢者をフォローする社会のしくみが整う前に進みます。高齢者から金を騙し取ろうとする輩が増えたり、高齢化した親を世話するのに疲れた家族が幼児虐待でなく老親虐待にいたることも十分考えられます。

 二〇〇七年から二〇一〇年にかけて家庭の貯蓄率がゼロになると予測されています。団塊の世代が貯蓄する側から、取り崩して使う側に変わるからです。一方高齢者の生活には従来よりも年々お金が余計にかかり始めます。政府が高齢者に対しても年金の給付を減らし、消費税などを増やすほかに、今まで六五歳から認めていた特典を七五歳からに遅らせていくからです。

 平均寿命が八十年と言われている日本で、定年後の残りの二十年をどのように「幸せ」に過ごすことができるのでしょうか。私は、定年とは「人生の桧舞台の始まり」と考えています。定年からが本当の意味でおもしろくて充実したときとなればと願います。それには備えが必要です。この連載では、定年後の暮らしについて、本人、家族そして教会が備えておくことができることについて考えていきたいと思っています。

定年を迎え、危機を迎え

 私はいま東京の西部にある小平市に住んでいます。「熟年いきいき会」というグループの代表をしています。高齢者への情報の提供、支援をしたり相談を受けたりしています。

 ある方が、都心で中堅の企業の社長を務め、目覚しい成功を収めて後、会長職を七十歳で引退しました。全社を挙げての送別会の翌日、いつものように七時に眼が覚め、いつものように朝食をとり、着替えました。家人は、だれか恩のある方へあいさつにでも行くものと思い、言われるままに準備をしました。玄関で見送られ、本人は木戸をあけて外へ出ました。ところが、いつもそこにあるはずの運転手付の会長車が植え込みの先にいませんでした。

 一年後、軽い抑うつの症状が現れ、二年目には痴呆が現れました。三年目には痴呆がさらに進みました。さらには、気に入らないことがあると家人、特に妻に、暴力を振るうようになりました。

 やむを得ず、グループホームに入居することになりました。元会長は毎朝同じ時間に起床し、自分からパジャマの上に燕尾服を着るようになりました。お正月に全社員集めての訓示で、また、あるデパートでの新春講演会のとき、その服装をしたことが脳裏に焼きついていたからだと思われます。それをなんと亡くなる日まで毎日続けたという話です。

 また、ある方は優秀な取締役営業部長で、六十四歳まで現役で活躍しました。早くから妻との幸せな老後をあれこれと思いめぐらし、語り合っていました。妻は社交的で地域に友人が多く、趣味やボランティア活動で広く活躍していました。

 しかし、その元取締役営業部長が定年になる数か月前、思いもしないことが起こりました。妻ががんに侵され、すでに手遅れであることが判明したのです。そしてあっという間の死。葬儀には通夜と告別式を合わせて、千人近い弔問客が来ました。彼は茫然自失、想像と現実のあまりの隔たりに対処するすべを失ってしまいました。

 葬儀がすんで十か月たちましたが、何をする気力もなくなってしまい、本当に病気になってしまいました。今でも立ち上がれずに苦しんでおられるのを見ると、私もどうしたらいいかわからず、つらい思いになります。

 このほかにも、企業人としては人並み以上の活躍をしたのに、定年離婚に遭遇したとか、定年後、自宅にも地域社会にも居場所がなく孤独に落ち込む人たちが多くいるのを見ると、何とかならないだろうかと思わずにはいられません。

「危機」に備えて

 このような「危機」を前に、備えをしておくことが大切だと私は考えています。今までの自分を振り返り、整理し、そして残された現役の間に実行することをおすすめします。

 実行しておくことを思い切って絞り込めば、二つになると思います。ひとつは自分の仕事の専門能力(縦軸)と趣味や特技(横軸)を磨くことです。理想は、四十歳でスタート、五十歳で縦軸・横軸とも確立させることですが、段階の世代にとって今からでは遅すぎるということはありません。とにかく今がスタートする時だということです。ここで重要な点は、縦軸(仕事の実力・専門能力)で得意技を絞り込む際には、迷わず、「今の仕事」「今の生活」の延長線上のものを選ぶことです。

 多くの人たちが何かの資格に飛びつきます。わけのわからない資格や、受かる可能性がほとんどない難関資格に挑戦するようなことはやめて、現実的に成功する可能性の高いことに挑戦することをおすすめします。

 二つ目は定年後の家庭・地域に戻ることに備え、心がけることです。

  1. 伝統的な男の価値観を変えよう。
     男性の中には、男性が外で働き、家事は女性がするのが当然という価値観を持ち、さらに家事労働を軽視している方が少なくありません。私が定年になって家族と一緒にいるようになったとき、一番に気がついたのも妻の家事労働の大変さでした。妻の家事労働を高く評価してください。休日は妻と一緒に食事を作りましょう。そうすればきっと妻とのよい関係が作れます。
  2. 異性と異世代から学ぶ姿勢を身に着けよう
     人間関係づくりは女性に、パソコンは子どもに習うことを提案します。それによって家族の関係が劇的に改善された例を見てきました。
     地域では女性が実にみごとに人間関係を構築しています。男性はこの点が苦手のようです。面子を気にして構えてしまうからだと思われます。人間関係づくりは女性に見習うのが早道です。聞くところによりますと、団塊の世代の奥様族は専業主婦最後の世代であり、姑の世話をする最後の世代で、かつ、自分たちの老後は子どもの世話を受けられない最初の世代だそうです。このような時代の変遷も考慮しつつ、夫婦は新たなる団結によって定年後の豊かさを創造すべきだと思います。
 次回は今回の提案を体得するための具体的な手法について考えていきたいと思います。