寄りそうということ ◆ホスピスの現場から「寄りそう」を考える
下稲葉康之
社会医療法人栄光会 栄光病院 理事長・ホスピス主監
約三十年にわたるホスピス医としての経験の中で、忘れられない出来事がある。ホスピスにかかわってまだ二年目の頃だった。六十五歳の末期がんの患者さんと向き合っていたとき、ふと気づいたのは、人生経験という面からして、この患者さんが先輩で私は後輩なのだということだった。
たしかに私は医師であり、この人は患者で医療に関しては素人。しかしながら、私はがんになった経験がない。ましてやこの病気であと一、二か月で死ぬという末期状態を経験したこともない。自分の死と現実的に向き合う状況を想像はできても、自らの経験として死を語ることはできない。
原則的には、先輩が後輩にアドバイスし、指導するものである。後輩が先輩を理解し、援助することはほとんど不可能に近い。ホスピス医として一体どのようにかかわっていけるのか。悶々とする日々が続いた。
この衝撃的経験は、ホスピス医としての目覚めとなった。患者さんは先輩で私は後輩である。だから患者さんの訴えや要望にただ耳を傾け、聴かせていただくことでいいのだ、と。後輩であるとの認識は、やがて私をいたずらな緊張感や焦燥感から解放し、先生から習う生徒のように「聴かせていただく」という姿勢で患者さんにかかわることとなった。
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広辞苑によると「寄り添う」とは、「そばへよる・よりつく」とあり、「添う」とは、「①そばに離れずにいる②夫婦になる・つれそう」とある。これは、人と人とのかなり親密な関係「夫婦になる」という絆をも表現している。すなわち、「寄り添う」には、「ただお聴きする」という面と「パートナーとしての役割を果たす」の両面があることになる。患者さんのパートナーとしての緊張に満ちた場面がいくつか思い起こされる。
会社役員だった六十一歳の患者さん。極めて親密なかかわりとなり、やがて彼は震える心境を率直に吐露するようになった。「先生、遠慮しないで、ああしろ、こうしろと指示してください。どうぞ指導してください!」 この訴えの重さを噛みしめながらも、祈り心で精いっぱいの思いで応じたことだった。「医師としては限界がありますが、友人として、そしてクリスチャンとして、しかと受け止めさせていただきます」
また、二歳の娘を持つ若い母親でもある二十六歳の末期がん患者さん。「先生、あとどれくらい生きられる?前の病院では、あと六か月と言われました」 そして徐々に病状が進行してきたある日、もう一度「先生、どれくらい?」 一瞬ためらったが、「そうね、あと一週間。二週間は無理と思うよ」と率直に応じた。彼女は、涙しながらも大きくうなずいて「先生、大丈夫です。死ぬのは怖くありません。この病院に来て怖くなくなったんです。イエスさまが天国に迎えてくださることが分かって心が楽になったんです。先生、そうでしょう?」何とも表現のしようのないすてきな表情だった。寄りそい・寄りそわれる――何とも表現し難い絆の素晴らしさを実感したのだった。
これまでのホスピスでの経験から、末期がん患者さんとの「寄りそう」ことの意義と役割を述べた。これからも寄りそうことをさらに習い、その味わいを深めたいと思う。
下稲葉氏の著作
『いのちの質を求めて』1,050円
『癒し癒されて 栄光病院ホスピスの実録』
下稲葉康之 下稲葉かおり 共著 1,365円