小さないのちが教えてくれたこと ◆死ぬことが決定づけられている場所

水谷潔氏
小さないのちを守る会 代表

水谷氏は、もともと名古屋で牧師をしていた。母教会でもあり、いずれはその跡を継ぐことを使命と感じていた。だが、関心のあった性教育や恋愛の問題をきっかけに、「小さないのちを守る会」とかかわるようになり、そこで、前代表(現会長)の辻岡健象氏に自分の跡を継いでほしいと言われる。
「お断りしても、あきらめていただけませんでした。三回目に要請されたときに、『もう二度と言わないでください』とお願いしました。『もし自分にその召しがあることがわかったら、そのときは逃げません』と。ずっと、その召しはないと思っていたのですが」
二〇〇一年のことだった。所属教会からカンボジアに派遣されていた宣教師のもとを視察する機会があった。
そこで訪れたのが、生きて出ることができないと言われた収容所、現在のトゥール・スレン(S21)虐殺博物館。今もなお、虐殺で使用された建物と道具がそのまま遺されている。
「学校が牢獄になり、拷問の場になっている。拷問の道具とか血痕とかが残ったままでした。その牢獄に入って、お祈りをしたとき、神様に語りかけられたように感じました。ここで、どこにも逃げられずに拷問され、必ず殺されていった人たちは、中絶される胎児と同じだ……。その収容所の牢獄の中でそう思ったのです」
逃げ出すこともできずに、死だけが約束された、閉ざされた場所――。
「それまで私は、他人事とは言わないけど、第三者的な立場から『中絶はよくない』と言っていたように思います。けれど、私も元胎児ですから……。そして、『最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです』という聖書のことばを聞いたとき、神様がそう言ってくださるなら従います、と祈ることができました。これが転機になりました」
二〇〇四年、所属教会を去り、たったひとりでも小さないのちを救えたなら……と、会の働きを継ぐ決心をした。