少年たちは現在(いま)・・・ (最終回) フリースクールからかいま見た姿
塚田 明人
待望塾代表
主の山に備えあり
この連載も今回で終了となる。一年間、様々な子どもたちの姿を描くことを通して、人の心について、神様のみこころについて、思いを深めることができた。またクリスチャンの読者から、お手紙、お電話、訪問もいただき、良き交わりができたことも感謝している。ちょうど一年前、編集部から依頼があったとき、「はたして十二回も書くことが見つかるだろうか?」と不安だったが、その時その時に主は、様々な題材を示し、ここまで導いてくださった。そのあわれみに感謝したいと思う。さて今回は、ちょっと肩の力を抜いて、最近一週間の日誌を紹介して、連載の舞台裏である私の日々を記したい。
○月○日
長野市で、県内のフリースクール・親の会のネット設立総会に出席した。不登校に関わる二十二の民間団体が協力し、県に対しても援助を求めていこうという趣旨である。田中県知事も出席したが、これには大きな意味があった。これまで十年以上、県教育委員会と話し合いを求めてきたが、門前払い同然で行政からはまったく無視されてきたからだ。今回初めて「フリースクールの存在は、子どもたちにとって重要である」という知事の発言があった。
○月○日
HさんとK君の大学受験指導の日。Hさんは中学一年から、K君は小学校二年生から不登校。それぞれ通信制高校で高卒資格を取得した。Hさんは、将来スクール・カウンセラーになるために、大学の心理学科に進みたいという。
○月○日
カナダの大学に進学したYさんから国際電話。彼女は、通信制高校を卒業して、カナダの大学に進学した。留学して一年になるが、しっかりがんばっている。ときどき疲れたときに、日本語で私と話すと疲れがとれるという。
○月○日
カウンセリング学習会の最終日。相談を受けている母親や成人した不登校経験者をさそって一緒に参加した。二時間ずつの八日間のセルフ・イメージのセミナーで、無意識に関わる自分自身の精神分析が主なプログラムなので、大変疲れた。途中で体調をくずした方も多くいたが、私たちのゆがんだ思考・行動パターンを生み出している無意識の世界を理解し、体得するよい学びであった。
○月○日
知り合いのカウンセラーの方から、高校一年生の娘さんのことで相談があった。学校を休み、山の中のフリースクールで学びたいとのこと。友人の武義和さんというクリスチャンがやっている山形県の小国フォルケフォイスコレを紹介した。武さんは、高校教師をやめ、ノルウェーのフリースクールで研修し、二年前より山形で、ご家族と友人で全寮制のフリースクールを運営している。
○月○日
三十五歳のひきこもりの息子さんの相談を受ける。高校卒業後、家で二十年近くを過ごしているという。保健婦、社会福祉の職員などいろいろな方が来て話をしたが、「若くて健康なんだから、早く働けるように努力しよう」と言われると、押し黙ってしまい、二度と会わないという。その点を注意して家庭訪問を、と頼まれる。最も欲しいのは友人とのこと。
○月○日
S君から繰り返し電話あり。心の病気を抱えて、ここ十年ほど家庭にいる青年だ。アルバイトをしたいと職業安定所を訪ねたが、冷たくあしらわれたと大いに憤慨している。結婚もできない、就職もできない、親が死んだらどうやって生きていったらいいのかとあせっていたが、しばらく話したら、落ち着いて時を待つ気持ちになった。
このように悩みのただ中にある子どももいれば、それを克服して自分の道や、居場所を見つけて歩んでいる子どもたちもいる。どこにも解決の光が見出せずに絶望している方、悩みを抱えつつも新しいことに挑戦している方もいる。
しかしどんな状態にあっても、私たち一人一人は、神様が造られた大切な存在であり、この世にあって必要な役割がある。そして人には不可能と思える問題も、創り主なる神様には解決の力がある。神様は日々、人間の知恵や力では、どうしようもない課題を私に与え、この力の主にもっと、祈り求めるよう導いているように感じる日々である。