平和つくりの人 聖書は戦争を肯定している!?

新約聖書がどのように旧約を成就するかということが、旧約聖書の戦争の記事を理解するための枠組みを提供する。神がイスラエルに戦いに行くことをお命じになったことを我々は否定しない。しかしイエスはそれとは違う道を教えられた。相手に対して報復したり、殺すことを拒否する道である。たとえ相手が抑圧的な帝国主義者であっても、同じだ。しかしながら、カルバリと信仰に基づく義が律法を否定しないのと同じように、イエスの非暴力の教えは旧約聖書を否定しない。事実キリストはまさにイザヤ五三章の描く非暴力の苦難のしもべ、そしてゼカリヤの平和のメシヤを指し示して、メシヤの使命がどんなものかを説明された。キリストは旧約聖書が待ち望んだものを成就なさる。

 旧約聖書の権威に基づいて、正義の戦争の伝統を採用すべきだろうか。いや、決してそうしてはならない。もし民間人や捕虜を皆殺しにすることを正しいと信じるならば、あるいはまた武器を徹底的に削減して「神のみを信頼する」ならば、その道はあり得る。その時初めて、旧約聖書の戦争の教えに従って行動していると主張することができる。原子力を用いる「戦車」や、核兵器で武装する「騎兵」を信頼する者たちを、旧約聖書は鋭く非難しているのだ。

 『平和つくりの道』九十六頁より
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