往復メール kei Vol.3 礼拝のスタイル
那須 敬
国際基督教大学 社会科学科助教授(西洋史) JECA 西堀キリスト福音教会会員
礼拝のスタイルが多様で自由なのは神さまからの賜物だとクリスチャンが考えるようになったのは、比較的最近のことなんだ。長い教会の歴史を眺めれば、その逆の考え方をしていた時期のほうが長い。もっともふさわしい「唯一の」礼拝方法を巡って、キリスト教徒同士は絶え間なく争ってきたからね。熱心さは、ともすれば自分のスタイルの絶対化を招くこともある。今、いろいろな賛美の形を喜ぶことができるのは、教会が歴史から学んだ証しだと僕は思うよ。
イギリスは、礼拝の多様性の歴史を考えるにはいい国なんだよ。僕が留学していたヨークにあったのは、250年かけて15世紀に完成したカトリック時代の巨大な大聖堂。宗教改革の後は国教会のイングランド北部の中心となった。今も美しいステンドグラスに囲まれて、トップクラスの聖歌隊による壮麗な様式の礼拝が毎日行われている。地鳴りがするようなオルガンと、高い天井から舞い降りてくるような歌声を聞いて、なるほどこれは天国のシミュレーションなんだ、と思ったね。
一方、聖日礼拝に通っていたのは、30人くらいの小さな群れ。歴史的に見れば、国家組織としての教会を嫌い、自発的に教会形成を始めた17世紀の運動の延長線上にある。そこは独自の建物を持っていなかったから、学校の体育館やホテルの会議室を借りて礼拝をしていたね。もちろん美しい装飾もないし、ペコペコした音のする電子キーボードで賛美歌を歌っていた。でも小柄な牧師から出るめらめらと燃えような力強い説教に支えられて、僕はきつかった留学を乗り切ったんだ。
世界にはまだまだ僕らの知らないいろいろな教会があって、それぞれが長い歴史の中でそれぞれの礼拝を、ゴスペル・ミュージックを、真剣に追求している。驚くような未知の教会音楽に出会うと、うれしくなるね。それは「なんでもあり」だからじゃなくて、それらとの出会いが、自分の礼拝スタイルを見つめ直し、より豊かにしていくためのチャレンジとなるからだね。