往復メール shioya Vol.6 いのちについて
塩谷達也
シンガー/ソングライター/プロデューサー JECA 西堀キリスト福音教会会員
僕には、かわいい甥っ子がいる。
名前は璃音といって、音楽を全身全霊で愛している小学生だ。彼は歩くことはできないし、ひとりで真っ直ぐ座れない。僕らと同じような言葉を話すことができず、自分だけで食事をとることもできない。ねそべってごろごろと動いて手や足でキーボードを叩き、ギターの上に頭をのせて弦の振動を感じている。自分の頭を何かに打ちつけたりすることもある。璃音の生きている世界のすべてを、僕らはつかみとることができない。
僕の姉は璃音と共に生きている。僕は、璃音をとおして、また姉と璃音の姿をとおして、神さまからたくさんのことを教えてもらった気がする。
璃音が生まれて間もなく、“Little faithful”という曲を書いた。
“……グランドを思い切りかけまわったり 水平線に落ちてく夕陽をながめた
いつでもできるって思って置きわすれてた
すばらしいことでいっぱいの世界の向こう側で
自由なきみは何を見るの
自由な君は神を見るの
誰かを憎んでも 争っても どうしようもない 逃れようもない からだから
何やってんだと僕をどなりつけた君は 静かに光を浴びて笑ってる
きみがいるだけで 聞こえない声が聞こえてくる
そこにいるだけで 見えない何かが見えてくる
いつだって つながって 夜空をこえる…”
僕らにはいのちがあることで、生きていることで、どうしようもなく苦しいことがたくさんある。でも璃音を見ていると、神さまの愛の神秘が、どうしようもなく弱い僕らに降り注がれていることがわかる。間違えばかり繰り返している僕らの間に神さまがいるんだってことがわかる。璃音は僕らに比べてできることは少ないかも知れないけど、僕らよりも近く神さまの手の中で抱きしめられている。
『琴音』というアルバムに、彼を寝かしつける時よく歌っていたメロディで書いた曲が入ってる。
“もしもいのちが君を 苦しめるのなら いつものように 二人で歌おう”