恵み・支えの双方向性 第10回 少しの挑戦と適切な折り合い

柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長

先日、十二年間勤めた金城学院大学で最終講義をしました。学生さんだけでなく、教員、職員の方々も多く聴きに来てくださいました。
学生さん相手の普段の講義と雰囲気がかなり違いました。聴衆の反応が豊かだったのです。うなずきや笑いが随所に見られました。豊かな反応に私も思わず話に力が入りました。そして「語らせられた」という経験をしました。話を引き出されたといってもいいでしょう。普段の授業ではあまり経験しないことでした。授業では、かなり一方的に「語る」のであって、「語らせられる」のではないのです。
最終講義では、聴きたい人だけが来ました。普段の講義では、聴きたい、聴きたくない、にかかわらず、学生はある意味、義務的に講義を聴くので、聴く姿勢が違います。学生からは反応があまり返ってこないのです。私の話し方に問題があるのかもしれませんが。入場料を払っての講演会は聴衆の反応が豊かです。話が一方的に私から聴衆へ向かうのではなく、聴衆から私に向かうベクトルが存在します。それによって話し手は元気づいて、話に熱が入ってくるのです。ここにも双方向性があります。
一生懸命話をしているつもりなのに、聴衆からの反応が鈍いときがあります。その原因は話し手にある場合が多いと思います。

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講演の中で、聴衆から良い反応をいただくために私自身が心がけていることが一つあります。それは、一つの概念をわかりやすい短い言葉で表現するということです。もう一つ心がけていることは、具体的な例を提示することです。
先日、ある老人大学で「豊かに老いる」と題して講演を依頼されました。その中で私が話した短い言葉は、「少しの挑戦と適切な折り合い」でした。具体的な例として、日野原重明先生(聖路加国際メディカルセンター理事長)に登場していただきました。百三歳の現在、臨床の現場で患者さんの診察をし、多くの講演をしておられます。私は四十年ばかり前から先生のご指導を受け、また、ホスピス関係の仕事でご一緒する機会に恵まれ、何度か対談をさせていただきました。

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ある学会の対談のとき、私は、「先生の元気のもとは何ですか?」とお聞きしました。先生はすぐに「挑戦のこころです」と言われました。先生が脚の老化予防のためにエレベーターやエスカレーターを使わず、階段を利用されることはよく知っていました。それも二段ずつ。それを先生は挑戦と言っておられました。対談のとき、「まだ階段を二段ずつ上がっておられますか?」とお尋ねすると、「いえ、もう二段は無理になりました。今は一段ずつです。折り合いをつけました。でも、最後だけは二段上がります」との答え。「どうしてですか?」とお聞きすると、「挑戦です。いずれ、最後も二段が無理になるでしょう。でも、それまでは挑戦です」と言われました。私は先生の挑戦の精神に脱帽の思いでした。まさに先生は「少しの挑戦と適切な折り合い」を実行しておられるのです。挑戦しすぎると、体を痛めます。ですから「少しの挑戦」が大切です。適切に折り合いをつけることも重要です。老いは脚からというように、年を取ると、杖が必要になり、シルバーカー、車椅子となります。それぞれの移行期に老人は「折り合い」をつける必要があります。まさに「少しの挑戦と適切な折り合い」が大切なのです。
最近、日野原先生は車から降り、講演会場まで少し距離があると、車椅子に乗られるようになりました。これも「折り合い」をつけたと思っておられます。ところが、立って講演をされます。これは「少しの挑戦」だと思います。先生はやがて立って講演をなさるのが難しくなると思います。しかし、座ってでも講演をするという「挑戦」は続けられると思います。

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概念をまとめる短い言葉と、概念を説明する具体的な例の二つが、講演者から聴衆に発せられると、聴衆から講演者にうなずきや笑顔が返されます。話し手から聴衆へ向かっての一方的な話ではなく、聴衆から話し手への反応によって、話し手の話がよりよいものになるという双方向性は興味ある現象です。