恵み・支えの双方向性 第12回 死の方向性

柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長

〈人間の死亡率は一〇〇%〉

サマセット・モームの残した有名な言葉があります。「この世には多くの統計があり、その中には数字のまやかしも存在する。しかし、絶対に間違いのない統計がある。それは人間の死亡率は一〇〇%であるという統計だ」というものです。確かに人間の死亡率は一〇〇%、この世に生を受けた人は一人の例外もなく、死を迎えます。
しかし、私たちは日常生活で、自分の死についてあまり考えないのではないでしょうか。特に若い時は、やがて死ぬということは観念的には分かっていても、死は遠くにあるもの、すなわち生の延長上に死があると思っているのではないでしょうか。老人になって初めて、死を身近に自覚するようになるのかもしれません。

〈生の延長上にある死〉

哲学者堀秀彦の言葉はこのことを如実に物語っています。彼は「七十代までは、年ごとに私は死に近づいていきつつあると思っていた。だから、死ぬのも生き続けるのも私自身の選択できる事柄のように思われた。ところが八十二歳の今、死は私の向こう側から一歩一歩、有無を言わせず私に迫ってきつつあるように思われる。私が毎年毎日死に近づいているのではなく、死が私に近づいてくるのだ」と言っています。死が自分に近づいてくるという感覚は高齢者独特のものかもしれません。
安政の大獄により三十歳で刑死した吉田松陰は獄中日記に「死が追いかけてくる」と書いています。これは死刑囚独特の感覚のように思います。堀秀彦と吉田松陰の死の意識に関する言葉を注意深く見てみますと、死が方向性を持っていることが分かります。堀秀彦は、七十代までは自分が死に近づき、八十代では死が自分に近づいてくるという感覚について述べています。方向性としては逆です。吉田松陰の「死が追いかけてくる」というのは、自分に向かうという方向性は七十代の堀秀彦と同じですが、前からと後ろからという方向性の違いがあります。
この二人の死に関する意識の共通性は、自分と死との間に距離があるということです。距離があるから、近づいたり追いかけたりできるのです。

〈死を背負って生きる〉

私は二千五百人ほどの方を看取りましたが、生の延長上に死があるのではなく、人は日々、死を背負って生きていると思えて仕方がありません。一枚の紙の表を生とすると、風が吹いてきてふっと裏返ると、紙の裏側に死が裏打ちされている、それが現実ではないかと思えます。今度の東日本大震災で一万五千人を超える方が瞬時に命を奪われました。その日、自分は死を迎えるだろうと思っていた方はいなかったと思います。現実にはあの方々は死を背負って生きておられたということではないでしょうか。
私が人は死を背負って生きていると思うようになったのは、ホスピスで多くの方々を看取る中で、多くの方が「まさかこんなに早く」という気持ちを持っておられたからです。
六十二歳でサラリーマンを退職して間もない方の例です。肝臓がんで入院してこられました。奥様から話を伺うと、「主人は会社人間で、二年ほど前に退職し『これから二人でゆっくり温泉にでも行こうね』と言っていた矢先にがんで倒れました。まさかこんなに早く死ぬなんて考えもしなかったことです」と言われました。ご主人はずっと生き続け、その生の延長上に死があると思っていたけれども、実は死を背負っていたのです。
自分と死との間に距離があるのではなく、自分は死を背負っていると考えておくほうが現実的ではないでしょうか。サマセット・モームの言葉を引用しましたが、最近、新聞の川柳欄に掲載された三つの句を紹介します。いずれも人間は必ず死を迎える存在であり、死を背負って生きるということを五七五にまとめたものです。

生受けた その場で背負う 死の定め
誕生後 一歩踏み出す 死出の旅
生の先 じゃなく隣に 死は潜む

私は初孫が生まれたとき、奇妙な体験をしました。新生児室に行ったとき、二十人ほどの赤ちゃんがいました。それを見たとき、ふと、「この赤ちゃんは、やがてみんな死ぬのだ」と思ったのです。ホスピス医として日々死と対峙していたからかもしれませんが、生まれたばかりの赤ちゃんを見て、その赤ちゃんの死を思う自分に対して、妙な気持ちになったのです。しかし、前述の川柳のように赤ちゃんはその場で死を背負ったことには間違いありません。