恵み・支えの双方向性 第13回 受け身の踏み込み
柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長
〈聞くと聴く〉
末期の患者さんに対する精神的ケアの中で最も大切なことは何か、とよく尋ねられます。私は「とにかく患者さんの言葉をしっかりと聴くことです」と答えることにしています。「きく」には「聞く」と「聴く」があります。聞くは耳しかなく、方向としては「一方的に聞く」という感じがあります。一方、聴くは耳と心があり、「心を耳にして」とか、「耳を心にして」といった意味があり、聴く側の心が相手に伝わるという方向性があるという感じがします。
Active Listening (積極的傾聴)という言葉があります。「個人的な関心をもって、積極的に聴く」という意味ですが、元来「きく」というのは消極的で、受け身の行動ですが、場合によっては積極的で、能動的な行動になる場合があるのです。
〈受け身、理解的態度〉
ある人とよい関係を保つためには受け身であることが大切です。その人の言葉をそのまま受け取り、それに対して自分の意見を述べたり、判断したり、批判したりすることを避けることが必要です。この受け身の態度は理解的態度ともいわれます。カウンセラーと患者との関係でいえば、患者の言葉に対して、「あなたが言いたいことを私はこのように理解しますが、私の理解で正しいでしょうか」と患者さんに返すような態度をいいます。具体的には、患者さんの言葉をそのまま、時には自分の言葉に置き換えて、患者さんに返すような態度です。
例えば、患者が「一生懸命やってきたんだけど。でも、もう長くないみたいだから、どう死んでいくのかしらね」と言ったのに対して、カウンセラーが「一生懸命にやってこられたのですね。長くない、どう死んでいくのかと思っておられる」と返したとします。これは受け身、理解的態度といえます。
〈受け身の踏み込み〉
受け身の対応は信頼関係を築くために必要ですが、時には受け身だけではなく、踏み込むことも必要になります。例えば、患者が「私の人生はいったい何だったのかしらね」と言ったことに対して、カウンセラーが「何だったか、言葉にすると何だったと思われるのですか」と返したとします。これは明らかに「踏み込み」です。ここで大切なことは、「踏み込み」が有効に働くためには、「受け身」による信頼関係が築かれていることが必要だということです。私はこれを「受け身の踏み込み」と名づけました。
〈共感的理解〉
カウンセリングの世界でもう一つ大切な概念があります。それは共感的理解です。その人の世界をそのままに受け止め、その人と同じように感じ入ることです。末期患者とのコミュニケーションにおいて、この共感的理解はとても難しい課題です。人間にとって自分の死が差し迫っていることを知ることは最も強いストレスだといわれています。病気や事故で入院した経験がある人でも、それは自分の死が近いという体験ではありません。したがって、末期患者に共感的理解を示すことは非常に難しいわけです。末期患者に共通する望みは「気持ちが分わかってほしい」ということです。末期患者の気持ちは「つらい、悲しい、寂しい、やるせない、むなしい、はかない」といった陰性感情です。会話の途中で、タイミングよく、「情を込めて」
・それはつらいですね
・そうですか、悲しいですね
・ほんとに、やるせないですね
などの言葉を患者に返すことが大切です。
〈入れ替え法〉
ここで難しいのが「情を込める」ということです。自分が体験したことであれば、自然に情は込められるのですが、「末期」という体験は実際に死に直面した人以外はだれもしたことがないからです。私は共感的理解をし、言葉に情を込めるために、「入れ替え法」という方法を編み出しました。回診の時、ベッドに寝ている患者のそばの椅子に腰かけて会話をしますが、その時、イメージ上ですが、患者と自分とを入れ替えるのです。具体的には自分をベッドに寝させ、患者は椅子に座ってもらいます。あくまでイメージ上のことですが、こうすることで、ベッドに寝ている自分(実は医者)は椅子に座っている医者(実は患者)からどのような言葉をかけてもらいたいかがわかるのです。立場を入れ替えることによって、すなわち、方向性を変えることによって、共感的理解が深まるということはとても大切な事実だと思っています。