恵み・支えの双方向性 第20回 物事のプラスとマイナス

柏木哲夫
淀川キリスト教病院理事長

すべての出来事にプラスとマイナスがあるというのが原則だと思います。宝くじに当たった人が大きな事業に手を出し、失敗して無一文になったという話を聞きました。プラスとマイナスの典型です。
はじめプラスだと思っていたことがマイナスになったり、マイナスだと思っていたことがプラスになったりするのが人生なのかもしれません。
同じことをどう見るかによって、その人の人生の色合いがずいぶん変わります。「半分のワイン」という有名な話があります。ワインを飲んでいて、ワインがグラスに半分になったとき、「まだ残りが半分もある」と思う人と、「もう半分しかない」と思う人とでは、大げさに言えば、「思考体系」が違ってきます。プラス思考かマイナス思考かによって、どんな人生になるかが決まるといっても大げさではないでしょう。
物事を見るときの方向性によって病気の治り方が違うということに私は気づきました。精神科医として多くのうつ病の患者さんの診療に当たりました。うつ病は「うつ気分」のほかに、不眠と食欲不振がつきものです。初診でうつ病、うつ状態と判断すれば、まず「抗うつ剤」を処方します。一般的に不眠は改善しやすいのですが、食欲不振の改善には少し時間がかかります。これに関して、患者さんの目の向け方に二通りあります。

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ある患者さんは、「食欲はまだ出ないのですが、夜は眠れるようになりました」と言われます。ある患者さんは、「夜は眠れるようになったのですが、まだ食欲が出ません」と言われます。両者とも食欲不振の継続と睡眠の改善という点では同じ状態です。しかし、うつ病の改善は前者が早く進みます。不眠の改善というプラス面に気持ちが向いているからです。後者のうつ病改善が遅れるのは、「食欲が出ない」というマイナス面に気持ちが向いているからです。気持ちの方向性によって、病気の治り方に差が出てくるのです。
老いのとらえ方にも方向性が関係します。老いの兆候の中で、聴力と視力の障害はかなり頻繁に出現します。お年寄りと接していて、残っている能力と失われた能力のどちらに心が向いているかによって、その人の「幸せ度」が違うことに気がつきました。聴力に問題があるが、視力は大丈夫という二人の場合、「耳は聞こえにくいのですが、目はよく見えます」と言う人のほうが、「目はよく見えるのですが、耳が聞こえにくいのです」と言う人より、幸せ度は高いはずです。残っている能力に(文字どおり)目がいき、「ありがたいことに」という感謝の心があるからです。
目の向け方、見る方向とともに、事態をどうとらえるかによって、病気の経過が大きく異なる場合があります。

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二人の中年のサラリーマンがタクシーの後部座席に乗っていました。信号待ちをしていたそのタクシーに居眠り運転の乗用車が追突し、二人はかなりひどい鞭打ち症になり、入院しました。一人は「災難に遭ったなあ。まあ、しばらく本でも読んでゆっくりするか」と覚悟を決め、かねて読みたいと思っていた『三国志』を読み始め、痛みが軽減したので退院し、二週間で職場復帰しました。もう一人は追突した運転手に対する恨み、つらみが強く、会社の仕事の遅れが気にかかり、痛みが軽減せず、一か月入院し、職場に復帰するのに三か月かかりました。
事故によって同じような障害を受けた二人が、なぜこんなにも異なる経過をたどったのでしょうか。それは、事故のとらえ方の差だと思います。一人は、事故を災難で仕方がないととらえ、もう一人は恨みの感情と仕事の遅れに対する焦りと苛立ちのため、事態を冷静に受けとめることができなかったのでしょう。このような事態を冷静に受けとめることはとても難しいことですが、起こったことをどうとらえるかによって、これほどの差が出る場合があるということは知っておく必要があると思います。

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私は、困ったことが起きたとき、いつもローマ人への手紙八章二八節を開くことにしています。「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」という聖書の有名な箇所です。このことはきっと益になっていくと思えると、一見困ったことでも、それをそのまま受け入れることができます。