恵み・支えの双方向性 第4回 自然からのまなざし
柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長
〈ストレスとしての人間関係〉
人は他の人との関係の中で生きています。それを人間関係と言います。人間関係はうまくいけば幸せを呼びますが、うまくいかなければ不幸を呼びます。長年の精神科医としての経験からいえば、心の病の大半の原因は人間関係にあると言えます。よい人間関係を保つためには自分が相手からどう見られているかについてある程度敏感になる必要があります。しかし他の人から自分がどのように見られているかということに敏感になりすぎると、みんなが自分を特別の目で見ているという「注察妄想」という病的な状態になることがあります。また、「赤面恐怖症」も、周りから自分への目の注がれ方に敏感になり、人前に出ると不安・緊張のあまり赤面し、赤くなるまいと思えば、ますます緊張して赤面するといった悪循環に陥っているもので、対人恐怖症の一種です。「注察妄想」も「赤面恐怖症」も、その方向性から考えると、「他の人から自分へ」です。これと逆に「自分から他の人へ」という方向性を持った精神障害もあります。その例が「自己臭妄想」です。実際には発せられていない自身からの口臭や体臭によって、周囲に嫌がられているのではないかという妄想のことです。
〈遠心性と求心性〉
神経に遠心性神経と求心性神経があります。前者は中枢(脳)からの興奮を末梢へ伝導する神経で、筋肉の運動を支配する運動神経や腺(唾液腺や汗腺)の分泌を支配する分泌神経などがあります。後者は末梢からの刺激や興奮を中枢へ伝達する神経で、感覚神経がその代表です。神経にも二つの方向性があるのです。そして、この遠心性神経と求心性神経のバランスがうまく取れていることが健康を保つうえでとても大切になります。
〈人と自然との関係〉
人と人との関係に方向性があると書きましたが、人と自然との関係にも方向性があります。毎日新聞の「余録」(二〇一三年三月十二日)の一部を引用します。
「先祖の国が海の上や海の中にあるという言い伝えが南西諸島にはあるそうだ。『浜下り』という行事では、幼い子を砂浜に連れて行き海に向かって立たせる。新しく生まれてきた子を先祖に見せる儀礼という。……(東日本大震災の被災地では)『何のために生きているのか』と苦しむ人がいる。それでも新たに生まれた命があり、社会へ巣立っていった若者たちがいる。ふるさとに遠くから手を合わせる避難者もいる。何も言わない海がそんな人々を見つめている」
被災地では多くの人々が海を眺めて、さまざまな思いに浸ったことでしょう。しかし、海も人々を見ているのです。〈浜下り〉は海が人を見ているということであり、余録は、はっきりと「海が人々を見つめている」と書いています。もう一つ、人が自然を見つめ、自然が人を見つめる例を書いてみます。二〇一四年五月、NHKテレビが「上野公園の桜」について特別番組を放映しました。実に多くの人たちが満開になる数日前から場所を取り、花見と飲食を楽しみます。場所取りと後片づけは新入社員の初仕事とのことでした。地方都市から上野の桜を毎年見に来る人のインタビューもありました。一時間番組の最後の言葉は「桜はいろんなことを見てきた」でした。人々は桜を見、桜は人々を見ているのです。
〈神のまなざし〉
人が抱えるストレスの中で、人間関係がうまくいかないストレスはかなり多く、かなり深刻です。それは、家庭、学校、職場、地域社会、サークル、趣味の会、その他、人が集まる所では必ずといってよいほど存在します。人間関係がうまくいかないことが原因のストレスに悩んでいるとき、人はその人と自分との関係以外に目を向けることが難しくなっています。こんなことで悩んでいる自分を海はどのように見ているだろうか、桜はどう感じているだろうか……など、視点を変えて、違う方向から自分の悩みを眺めてみると、自分の悩みが大した悩みでないことに気づくかもしれません。
海という自然が人間に向けるまなざし、桜という自然が人間のいろんな営みを見てきたという視点は、両方ともベクトルが自然から人間へ向かっています。その自然を支配している超自然的な神という存在へ目を向けることと、その神から人へ注がれるまなざしを意識することで、私たちの人生は大きく変わるのではないでしょうか。